平成15年7月号
7月号 もくじ
*********** 今月のトピックス ***********
お父さんありがとう
大正琴の演奏会
父の日の行事
民謡踊りの会
グループホーム・デイサービスだより
楯農園からの収穫報告
医療棟笑顔グランプリ!
投稿作品
********* 名倉院長の健康豆知識 *********
北海道三熟女との旅
*********** 7月の行事予定 ***********
********* 編集後記【あしあと】 *********
お父さん、ありがとう ~父の日のイベントより~
療養棟2F
療養棟2階では、6月15日に父の日のイベントを行いました。
当日は、男性入所者にメッセージカードをプレゼントし、ビールやジュースを飲んでお祝いしました。
男性利用者からは、「物を貰うことはあっても、こうやってお祝いしてもらったことはないよ」「胸がいっぱいです」
などの言葉が聞かれました。また、「お父さんありがとう」と声をかけると、照れくさそうに笑われる姿も見られました。
男性利用者の皆様、これからも明るく元気にお過ごしください。
療養棟3F
療養棟3階では、6月15日に父の日のイベントを行いました。当日は、スタッフより男性利用者の皆様へ感謝状が贈呈され、その後、
全員でキーホルダー作りを行いました。
感謝状の贈呈では、スタッフから感謝状を渡されると、大事そうに胸元へしまわれる方やじっと見つめられる方など様々でしたが、
女性利用者からも拍手が起こったりと、とても喜んでいただけたようでした。
フライパンを使ったキーホルダー作りでは、自分の名前を真剣に書かれたり、イラストに好きな色を塗ったりと楽しまれている様子でした。
出来上がったキーホルダーは各々、自分の洋服や車イスなどに付け、お互いに見せ合ったり、「写真をとっておくれ」
とスタッフにお願いするなど、沢山の笑顔を見ることができました。
男性利用者の皆様、これからも元気に沢山の笑顔を見せてください。
盛りだくさんのイベントが行われました~通所リハビリ~
通所リハビリでは、今月もたくさんのイベントが行われましたので、ご紹介します。
大正琴の演奏会
6月10日、
日輪寺町の皆様による大正琴の演奏会が行われました。
当日は、「船頭小唄」「影を慕いて」など計12曲を演奏していただきました。さらに、
琴に合わせて利用者の方々と一緒に踊っていただくなど、利用者の皆様からたくさんの笑顔がこぼれる楽しい一時となったようです。
父の日の行事
6月12日、
男性利用者へ日頃の感謝を込めて、女性利用者の方々から男性利用者の方々へ3つの大きなプレゼントが手渡されました。1つ目はプリクラ写真。
用意されたテレビの前に座り、カツラやマスクなど小道具を身に付けハイ、ポーズ。なかには自ら進んでカツラを被るなど、
一同大爆笑となりました。2つ目は手染めタオル。これは、スタッフが夜なべして(?)作った特製タオルで、
皆さん気に入っていただけたようでした。3つ目は特製そばがき。これは、女性利用者の方々とスタッフの共同作業によるもので、
愛情の込められた仕上がりに皆さん大満足。お味の方もとても美味しく大満足されておりました。
男性利用者の皆様、これからも元気に通って来てください。
民謡踊りの会
6月14日、南橘町のボランティアの方々による恒例の民謡踊りの会が行われました。
懐かしの曲による踊りで、見ている利用者の方々の足や手も自然にリズムをとるなど、とても好評でした。またの訪問を楽しみにしております。
グループホーム・デイサービスだより
GHII
グループホームIIでは、
6月25日に雨の降りしきる中、カラオケをしながらランチを食べようと、カラオケボックスに行ってきました。
歌を唄ったり、昼食をとったりと忙しく慌しく時間が過ぎましたが、楽しい楽しい3時間となりました。
楽しい時間もあっという間に過ぎてしまいましたが、店を出るときには激しく降っていた雨もあがり、
青空の覗く空の下をご機嫌に帰ってまいりました。
GH I
グループホーム Iでは、6月22日に大胡町にあるフラワー牧場へドライブに出かけました。
梅雨に入り、外へ出かける機会が減っておりましたが、当日は心配されていた雨も止み、晴天の中ドライブに出かけることができました。
入居者同士で声を掛け合っている姿も見られ、外に出かけることに対し皆さん積極的でした。
フラワー牧場には子様連れで遊びに来られている方がとても多く、散歩の途中、子供の姿を見かけると、
皆さんに笑顔が見られとても喜ばれておりました。また、草花を眺めては「昔はね・・・」と話をして下さる方がいたりと、
皆さんのどかな時間を過ごしていただけたようでした。
GH III
グループホームIIIでは、
6月26日に渋川市のあじさい公園へ出かけました。当日は、運良く梅雨の晴れ間で、最適なドライブ日和となり、
皆さんとてもウキウキされておりました。
坂道が多く足元が悪いため散策することはできませんでしたが、少し離れたところからでしたが、
ちょうど見頃の色とりどりのあじさいを眺めながら各々が口々にあじさいの美しさを表現しておりました。
帰りの昼食では、若者の好きなマクドナルドで柔らかいパンをいただき、「若い人からエネルギーをもらいました」
との声が聞こえたりと終始和やかなムードの中、無事帰ってまいりました。
DS
デイサービスでは、
6月14日に父の日の行事として、牛丼をいただきました。利用者の中には初めて食べた方もいるようで、「美味しくって、
頬っぺたが落ちそうだよ」と嬉しそうに黙々と召し上がっておりました。
また、25日にはとんでんへ外食ツアーに出かけました。各々が好きなものを注文し召し上がっていただきましたが、
中には利用者同士で飲み物や料理を交換して召し上がっているなど楽しく過ごすことができました。
楯農園からの収穫報告
通所リハビリを利用されている楯文夫さんの指導のもと、グループホームⅢの前にある農園では、きゅうり・なす・ねぎ・じゃがいも・トマト・
モロヘイヤ・しいたけ・みょうがなど沢山の野菜がすくすくと育っております。
現在、じゃがいもの収穫はほぼ終了し、これから夏本番を迎えるにあたり雑草駆除がますます大変になってきております。
機械や農薬、化学肥料を使わず、人力のみの作業で栽培された野菜の味は一層美味しく感じます。
これからも定期的に楯農園での野菜の生長記録をお伝えしていきまので、皆様楽しみにしていてください。
療養棟笑顔グランプリ
『笑顔』というイメージがあることをとても嬉しく思います。そのイメージを壊すことなく、これからも頑張っていけたらと思います。そして、
関わっていく誰でも笑顔にしていけたらと思います。
井田 智恵美
投稿作品
『岸壁の母』の秘話 橋本 利三
「もしやもしやに」で、
あの名高い歌に唄われていた悲劇の母と子の話が、50年経った今、満州の地に行ったまま帰らない兵隊さんの話だと聞いて分ったので、
皆さんに紹介したいと思います。
母の名前は「端野いせ」、兵隊さんは「新二」、新二には双子の兄がおり名前は「橋本新一(現在は父の名前の新太郎を名乗る)」という。
橋本の家は戦前、函館でも有数の資産家で父の新太郎は旅館や映画館を経営し、その他にも市内に沢山の貸家を持っていたそうである。当時、
貸家に住んでいた「端野」夫婦は橋本家に双子の男の子が生まれたことを知り、「ひとり私どもに下さい」とお願いし、「それでは」と
「橋本家は弟の新二を養子に出したのである。ちなみに、兄の新太郎さんは、17歳の時に一度逢って話をしただけだそうです。
舞鶴の「舞鶴引揚記念館」の記録によると、養母いせ(1981年死亡)は京都府舞鶴で帰らぬ息子・
新二を昭和25年から6年間もの間に76回も平桟橋に立って、「もしやもしや」と新二の姿を追い求めたのであった。
この話を聞いた作詞家の「藤田まさと」氏が昭和29年に『岸壁の母』を作詞し、平川浪竜氏によって作曲された。
端野家が函館を離れたのは1928年、新二・3歳、母いせ・29歳、夫は2年前に病死し母子2人の生活で、
いせは手織りの和裁の腕をいかして新二を育てた。いせには成長していく我が子の姿だけが心の支えだったという。新二は私立大成中学卒後、
立教大学2年時に中退し満州鉛銅鉱業に就職。昭和20年3月、現地にて徴兵検査に甲種合格をしている。新二は初年兵として当時、
熱河省の第240連隊に入隊、7月には石頭予備士官学校に甲種幹部候補生として入校している。これは、
極東ソ連軍が満州に侵攻する僅か1ヶ月前のことである。
兄の新太郎さんに何故、今まで出てこなかったのかと聞くと、「実は未だ新二について色々な生きているという話が聞こえてくるが、
新聞などで聞く話は全部話だけで、いつかお金を騙し取られたことがあるので情報不信に陥ってしまったのと、
うっかりすると端野のおばあちゃんに迷惑を掛けてしまうといけないからだ」という。新太郎さんは心の中で、今でも「新ちゃん、
帰国しなくとも良い、生きている間に兄弟だけで再会したい」と。
新二は生きていれば今年78歳になるという。
文芸春秋七月号 ノンフィクションライター・斉藤充政氏による
名倉院長の健康豆知識
北海道三熟女との旅
富良野のラベンダーの花を見るというのを究極の目的として、通所リハビリの熟女(といっても熟れすぎか?)3人(諸田春代・諸田竹代・
山中文江氏)と北海道へ行ってきました。もう7年近くも一緒に仕事をしているのに、泊りがけの旅行は初めてのことで嬉しいやら(悲しいやら)
恥ずかしいやら何とも変な気持ちで出発をしました。お互い充分初老期に入っているメンバーですので、物忘れの面、
体力的な面など気遣いながらの珍道中でした。
まずは空路にて函館に着き、直ちに有名な老人ホームを施設見学し、さあ北海道だ!寿司をたべるぞ!と海沿いのすし屋に入ったのですが、
ウニが嫌いだという人が2人いて、がっかりしカウンターパンチを喰らったようでした(ウニを食べずに何が北海道だ!)。一泊目の洞爺湖では、
夜、思いがけず花火ショーが見られ、幻想的な北国の湖面に打ち上げられる花火にとても得をしたような気分になりました。
次の日は一路小樽まで直行し、札幌に移り住んだ山崎光子さんと裕次郎記念館の前で再会を果すことができました。山崎さんはお元気で
「通所リハビリの皆様方に宜しくお伝え下さい」と笑顔でおっしゃっていられましたが、
札幌に行かれてからの女性としての苦労が言葉のところどころに垣間見られ、心が痛みましたが、
そうした感情は僭越なことと思い直してみたものです。小樽、札幌では山崎さんと一緒に運河沿いの店でカニを値切ったり、ガラス工芸、
オルゴールの店などを覗いてきました。その後、札幌ラーメンに舌鼓を打ち、女性陣に男の聖地・すすきのを案内しました。
内心はこのまま熟女達を打ち捨ててすすきのの街にまぎれ込んでしまいたいという衝動にかられましたが、
口では彼女達にすすきので遊びたいなんて思わないねとすました顔で言う自分でした。「山崎さん、これからもいつでも創春館に来てくださいね」
と別れを惜しみつつ、雨降る夜の札幌駅で山崎さんと別れました。
さあ、三日目はいよいよ富良野です。何と前日には天皇陛下御夫妻も来られたということで、多分、
私たちは富良野の最も良い時期に来たんだと悦にいったものです。天気は良く空気も澄み渡り、美瑛の丘から富良野への道は、
車を運転していることも忘れ、その風景の中に漂いまぎれ込んだような感じでした。3人の熟女はすっかり17、8歳の乙女になり「キャー、
すてきー」「キレイだねー」と単純な感嘆詞の連発でした。そして富良野・富田ファームの紫一杯のラベンダー畑を見た時、
三熟女はもう失神寸前の状態で、どんな失態を演じたかは永遠に人には語りませんが、大変な騒ぎで、ラベンダーに狂う群集にロックコンサート
(主役はラベンダー)のような熱狂を感じました。
今、私達日本人は花に狂うほどのゆとりを得たのですね。三熟女との北海道の旅は、花の美しさ、心の豊かさ、
そして気の置けない人達との屈託のない旅の楽しさを北海道の涼やかな空気とともに感じさせてくれた旅でした。
涼風が 舞い上がる空 富良野路は むらさき匂う 花々の里
7月の行事予定
|
|
||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
|
編集後記
さんぽみち7月号、いかがだったでしょうか? 実は、今月号からメンバーが変わりました。 新しいメンバーは・・・、
石関・富岡・山川・小渕・柳澤・石倉の6名です。今年度も楽しい新聞づくりを心がけて参りますので、皆様よろしくお願いします。
それにしても、早く明けないかなぁ~、梅雨。
梅雨明けすると、夏本番です。皆様、夏バテしないようモリモリ食べて、暑い夏を乗り切りましょう。
広報委員 石関