平成19年7月号
7月号もくじ
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ゆめさき★だより
各部署より
実業団テニストーナメント開催!!
感謝祭、今年も開催決定!
名倉院長の健康豆知識
・・・・・・・「ラガーマンの死」・・・・・・・・・
文芸作品
・・・・・・・・・・編集後記・・・・・・・・・・・
ゆめさき★だより
デイサービスゆめさきでは今月も多くの催しで皆さんと楽しい時間を過ごしました。四日から六日まではおやつ作りを行いました。
ゆめさき農園で実った?イチゴをふんだんに使ってジャムを作り、ヨーグルトムースに合わせて召し上がって頂きました。
ゆめさきのイチゴは人生と同じで?甘くはなかったのですが、イチゴ本来の風味を味わっていただけました。七日、
八日はプロジェクターを使用した上映会でした。今回は現代劇の「座頭市」を上映しました。途中喜劇役者のこっけいな芝居に大笑いあり、
リアルな殺陣に圧倒されていましたが夢中になってご覧いただけた様子でした。十一日は芙蓉吟道会の皆様による発表会でした。
現代詩吟と歌と皆様にゆかりあるものを用意していただいたので一緒に歌って楽しく時間を過ごすことが出来ました。
十六日は父の日の催しを行ないました。皆さんに父親についてお話いただき、その後特別ゲストによる演武と板割り、
バット折りを見せて頂きました。皆様興奮されながらも子供達の元気な姿に昔に戻って父親になっていた様子でした。二十一日、二十二日、
二十八日と六月の誕生会を開催して特製の色紙と手作りケーキ、お祝いの歌と一言にとても喜んでくださった様子でした。
毎月ですがこうやって誕生会を催せることが、私たちにとってとてもうれしいことです。いつまでもお元気でいて下さいませ。
二十三日は半年ぶりの「蕎麦打ち実演」でした。この日はとても暑い日でしたが、日野原さんは暑い条件に合わせて、
蕎麦を調整して皆さんの前で蕎麦打ちを披露して下さいました。打ちたて、
茹でたての蕎麦は味わうのも惜しいかのように口の中に運ばれてあっという間に食べ終わりました。ごちそうさまでした。
とても美味しかったです。二十六日は富士見民謡会の皆様にお越し頂きました。民謡会の皆様もゆかりある曲を用意、披露して頂き一同で歌い、
踊り?楽しくあっという間に終わってしまいました。三十日は富士見フラダンス愛好会の皆様がお越しくださいました。
素敵な衣装と踊りを披露してくださり、ダンスの振りについても説明してくださってフラダンスに触れる事が出来てとてもよかったです。
今月は多くの慰問の方々がゆめさきに来て下さり職員を含めて皆様と楽しい時間を過ごすことが出来ました。
いつでもお待ちしておりますのでお茶でも飲む位に気軽にお越し頂きたいと思います。
七月イベント予定
二・三日 上映会
七日 七夕イベント
十九~二十一日 おやつ作り
二十四・三十日 誕生日会
各部署より
《通所リハビリ》
父の日のイベントで職員手作りのYシャツ型のカードを男性利用者様にプレゼントし大変喜んで頂けました。
*7月イベント*
4日(水) 晃峰会発表会
7日(土) 七夕のイベント
13日(金)南橘ハーモニカクラブ演奏会
19日(木)~21日(土) 老健作品展
23日(月) 25日(水) 27日(金) お誕生会
31日(火) 民謡踊り教室
《療養棟2階》
父の日のイベントで焼き饅頭を作りました。
フワフワの生地と甘辛い味噌ダレがとても美味しくできました。
*7月イベント*
4日 七夕とおやつ作り (ところてん)
6日 ぽらりす保育園との 七夕会
11日 ドライブツアー
12日 買い物ツアー
18日 関先生の音楽教室
25日 お誕生日会
《療養棟3階》
父の日のイベントで男性入所者に感謝状と一輪のバラをプレゼントしました。
その後は皆で焼き饅頭を楽しく食べました。
*7月イベント*
4日斉藤先生の音楽教室
5日七夕にて流しそうめん
6日ポラリス保育園にて七夕会参加
12日買い物ツアー
19日おやつ作り
26日誕生日会
29日太鼓の慰問
《 あかしあの里Ⅰ》
六月のイベントとして家族会とあじさいドライブを実施しました。
家族会ではバイキング形式にて焼きそば・ちらし寿司・フランクフルト・デザート等を皆で頬張りました。
家族会長様を始め多くのご家族に参加していただき無事に行うことができました。本当にありがとうございました。
*7月イベント*
7日 七夕祭り(おやつ作り)
11日 榛名養護学校交流会
25日 外食
《あかしあの里Ⅱ》
今月のイベントとして個別の買い物ツアーを企画しました。
多人数の時では感じられない穏やかで落ち着いた雰囲気のなかでの買い物が実現しました。
ホーム内ではあまり話すことのない昔話などで会話がはずみました。今後も、
継続し職員と利用者様の信頼関係を更に構築していきたいと思います。
*7月イベント*
上旬 買い物ツアー
7日 七夕祭り
11日 榛名養護学校交流会
16日以降 外食・おやつ作り
《あかしあの里Ⅲ》
七夕のイベントに向けて今月は準備に没頭する日々でした。輪つなぎやお花紙でお花を作ったり、
ご自分で出来る方は率先して参加して下さいました。お陰様で七夕には、あかしあの里Ⅲの共同作業で出来た素敵な七夕飾りが出来ました。
*7月イベント*
10日 七夕
20日 外食
30日 おやつ作り
《わきあいあい》
今月のイベントとして渋川の運動公園へあじさい見学へ行きました。
あじさいはまだ五分咲きでしたが、東屋で鳥の鳴き声を聞きながらお茶とおやつを召し上がり、皆さんとても楽しそうでした。
帰りの車の中でも話が弾んでいたようです。
*7月イベント*
7日 七夕・そうめん流し
9日 誕生日会
11日 榛名養護学校交流会
19日 スイカわり
8日・10日 ぶっちーライブ
《ゆめさきグループホーム》
GHゆめさきではつつじの見学に行ってきました。
ほぼ満開のれんげつつじにとても喜んでいらっしゃいました。昼食は前橋へ戻ってからカッパ寿司へ外食へ行きました。
おいしく召し上がられた事とおもいます。また次の機会を楽しみに過ごしてください。
*7月イベント*
6日 誕生日会
29日 家族旅行
《明月》
6月20日に誕生会を行いました。
今回の主役の方は90歳には見えないほどお元気な方で得意の踊りを折に触れては皆に披露して下さいます。
長い年月を重ねてこられた利用者様お一人お一人の誕生日をこれからも大切にしていきたいと思っています。
*7月イベント*
4・14・23日 押し花教室
26日 民謡踊り教室
7日 七夕集会
11日 誕生日会
12・26日 電車ツアー
実業団テニストーナメント開催!!
テニス部より
○初戦試合結果
六月二十九日(金)、十九年度実業団テニス三部の試合がはじまり、
相手は昨年三部で準優勝の強豪ミツバ電機で富士見中学テニスコートに於いて、試合を行いました。
シングルス出場は県登録A級の根岸が、たくみなショットで相手を翻弄、得意なサーブアンドボレーでポイントを取り、
相手が前に出てくればパッシングショットが決まり、六ー一、六ー〇で勝ちました。ダブルス1は、名倉院長、角田組でこの試合も六ー一、
六ー一で勝利し、お互いの得意のサーブで相手を崩し、パートナーにボレーやスマッシュを決めさせる理想的な試合運びで次の試合に向け、
調整しているようなすばらしい試合展開でした。ダブルス2は、市槁、田中組で臨み三ー六、三ー六で惜しくも負けてしまいましたが、
田中にとっては初めての試合で、右も左もわからないほど緊張の中、目の覚めるようなフォアハンドショットを随所に決め観客を驚かせました。
次は「キリン研究所」、こちらも強豪で気を引き締めてかからないといけないのでチーム一丸となり、三部優勝に向け頑張っていきますので、
応援をよろしくお願い致します。
○二回戦試合結果
実業団テニス部は七月八日、三部準決勝の試合に臨みました。対戦相手は高崎にある「キリン研究所」、
初戦を圧勝で勝ち上がって来ただけあり、まとまりのあるチームで、互角の戦いが予想されました。
シングルスは根岸、第一セットは得意のサーブ&ボレーでポイントを重ね、六ー四で先取。しかし第二セット、
四ー一とリードした所で足に痙攣が走り、勝負を焦った根岸のプレーが乱れ、六ー七でセットを失うと、最終セットも足の調子は戻らず、
セットカウント一ー二で惜敗。
ダブルス1は名倉院長・角田組。ここまで息の合ったプレーで勝ち続けてきたペアでしたが、
右手の強い痛みをおして出場した院長は思うようにラケットを振ることが出来ず、角田の懸命なプレーもあと一歩及ばず第一セット五ー七、
第二セット三ー六で敗退。
ダブルス2は市橋・田中組。経験の浅い田中をベテラン市橋がリードしなんとか食い下がりたい所でしたが、
相手の厚い壁を打ち破るには至らず、第一セット〇ー六、第二セット一ー六と無念の敗退。結果〇勝三敗とチームの敗北が決定し、
残念ながら2部昇格への道は断たれた形となりました。
今回我がチームは、発足後初となる敗北を喫しました。選手それぞれに今後の課題が見えた一戦だったのではないかと思います。これを励みに、
気落ちすることなく次回からの順位決定戦に臨み、一つでも高い順位を目指し奮起して参りますので、尚一層のご声援を宜しくお願い致します。
感謝祭、今年も開催決定!
本年度における感謝祭の実行委員が決定しました!
このたび実行委員長に選ばれた療養棟スタッフの淡島さんに今年の感謝祭へ向けての意気込みを聞いてみました。
広報(以下:広)「いやあ、今年もいよいよ発足となりました、感謝祭実行委員。淡島さんは昨年に続いての実行委員。
しかも今年は委員長ということで、今年は昨年にまして気合が入るんじゃないですか?」
淡島(以下:淡)「そうですね!今ご紹介がありましたが、今回は私が実行委員長です。本当に私でいいのか?
と一抹の不安は禁じ得ない所なんですが…選んでいただいた以上はまさに不退転の覚悟、不撓不屈の精神で望む所存ですッ!」
広「…いきなり熱いコメント、ありがとうございます。感謝祭と言えば毎年テーマがありますよね、
今年はどんなテーマを主体に展開していくんでしょうか?昨年は確か…富士たちばなクリニック開設十周年記念ということで
『おかげさまで十周年』というサブタイトルがついていたと記憶していますが。」
淡「今年はですね…すみません、これはまだ秘密ということにさせて下さい。ただ言えるのは、昨年は十周年で、法人としても節目の年でした。
そういう意識が職員の中にもありましたから、自然と盛り上がりが出ていたと思うんです。だからと言って今年が「小さくまとまる」
お祭りになっていいとは考えていないという事ですね。今年は今年で、委員の色をしっかりと出していきたいと考えています!」
広「今、委員の色というお話が出ましたが、今回の実行委員のメンバーを見てどうですか?どんな色が出せそうな印象がありますか?
率直なところをお願いします。」
淡「実はここだけの話、実行委員長は私ですが、委員の間で『影の委員長』と密かに呼ばれているメンバーがいるんです。
名前は出せませんがとても頼りになる存在で、時に「あれ?俺いらないんじゃないかな」って思う事もしばしばありますね(笑)。また、
地味な裏方仕事をきっちりとこなしてくれそうな方もいて、結構バランスの取れたいいメンバーだなというのが、今の正直なところですね。
適材適所で活躍してもらえればかなりいい仕事ができそうだと思いますので、期待して頂きたいと思います。」
広「なるほど、楽しみなコメントを頂きました。感謝祭の楽しみというと様々な出し物や模擬店といったところですよね。
そちらをお目当てにしていらっしゃるお客様も多いと思うのですが…発足後間もないですが「今年はここに注目!」
といったイベントなどがありますか?」
淡「え~、…おっしゃるとおり発足後間もないので、正直まだそこまでの打ち合わせはできていません。ですが、
ご来館下さるお客様に満足して頂ける、内容の濃い企画を練り上げていきたいと思っておりますので、
楽しみにお待ちいただければと考えています。」
広「ありがとうございます。では最後になりますが、今年の感謝祭開催に向けての意気込みをお聞かせ頂けますか?」
淡「はい。実行委員一同、今年の感謝祭が皆様の記憶に残る、大成功のお祭りとなりますよう、
時には叱咤激励しながらこれから進めて参りますので、皆様ご来館下さいますよう、宜しくお願いします!」
かなりの意気込みを言葉の端々に感じ取れる、委員長淡島さんのコメントでした。皆様、
今年も富士たちばなクリニック主催の感謝祭をどうぞお楽しみに~ッ!
名倉院長の健康豆知識
「ラガーマンの死」
私は早稲田大学ラグビー部のファン、今風の言葉で言えば「追っかけ」
なんです。ラグビー部のホームページは大きな喜びですし、
毎年どんな有望高校選手が入るのかまるでラグビー部関係者のようにヤキモキしますし、慶応、明治、
関東学院大学に勝つ事が自分の事のように嬉しいのです。昨年などは四月の一年生の試合を見る為に東京東伏見まで行きましたし、
一昨年夏には信州菅平高原まで合宿見学に行きました。いずれも単独行動で横に同好の土、
願わくば熱狂的早稲田ラグビー部のファンである吉永小百合さんでもいればこうした「追っかけ」も、
もっと楽しいものになるかしらんと想像するのですが、そんな夢のような事がある訳もなく、神様だけが初老の孤独な男性のひそやかな
「追っかけ」の喜びを眺めているんだなぁと、さわやかな夏の高原の涼風に身をまかせつつ、汗まみれ、
泥まみれの選手達に声援を送っているのです。早稲田大学ラグビー部ファンにはこんな変なおじさんが沢山いるのですが、
ふと立ち止まって一体何を追っかけてきたのかと考えると、勝敗とは全く別のところにある、ラグビー部に連綿として伝わる精神の気高さ、
美しさに憧れているのです。「女性が美に憧れるとすれば男性は魂に憧れる」と言えばちょっとかっこいい私の造語かもしれません。
ラグビーを愛する人なら宿澤広朗という小柄なスクラムハーフを知らない人はいますまい、
もうそろそろ伝説のラガーマンとして人々の口の端にのぼる年頃になっていました。彼が私と同じ政経学部の一年上に在籍していた事は、
同じテニスサークルの一年上の先輩が「宿澤にはよく講義ノートを貸してやっているんだ」と自慢げに話していたので知っていました。しかし、
先日発売された伝記を読むと彼は私と同い年で誕生日は二日しか違わなかったのです。
東大の入試が唯一ない年に彼は現役で熊谷高校から入学していたのでした。大学時代に日本代表に選ばれ、
卒業して住友銀行に入行してからも数年は日本代表として活躍しましたが、その後業務に専念し、
日本代表監督としてラグビー界に帰ってきたのは三十九才の時でした。その後も銀行内では着実に実績と地位を高めつつ、
日本ラグビーの強化にも力を注ぐ、いわば二足のわらじを立州に履きこなしていたと伝記には書いてありました。
ラグビーファンならば誰もが知っているであろう彼の言葉があります。それは、彼が大学三年の時、
日本選手権で早稲田の佐藤選手が蹴ったボールが弾まない筈の雪のグランドで跳ね上がり、ものの見事に味方の堀口選手の胸におさまり、
勝利の逆転トライとなった場面についてのコメントでした。人は楕円球のボールがああいうはずみ方をしたのは運が良かったと言うが、
「あれは偶然ではない。何万回も練習しているから当たり前なんだ」という猛烈な努力により運を支配するというメッセージでした。
ここ数年はラグビーの現場から遠ざかっていた彼の訃報に接したのは、昨年六月のことでした。あろう事か、
彼は我が赤城山鈴ヶ岳山頂で急死したのでした。東京からの登山メンバー十一名は三台の車に分乗して朝六時半北浦和駅を出発、
午前九時頃登山を始め、十一時頃には頂上に着いたのでしょう。頂上にて三十分位休憩後下山しようとして二、三歩いたところで倒れたようです。
救急ヘリにて群大病院に搬送されましたが、倒れた時点で心肺停止状態であった為、心臓マッサージをしながらの搬送だったようです。
直接の死因は心筋梗塞との事ですが、死亡診断書のその原因の欄には、不明と書かれているかも知れません。厳密には不明なのですが、
極度の肥満(身長百六十二センチでありながら体重は八十五キロあったようです)、高血圧(服薬中)、ヘビースモーカー、仕事のストレス、
過労などが原因であると言っても間違いではないでしょう。数年後には三井住友銀行の頭取という地位もほぼ視野に入っていた、
こうした輝かしい男の人生軌跡と生き様について、
経歴は立派だが身体の自己管理に手落ちがあったなどと批判する事はとてもヤボな事の様な気がします。
様々な大義の為に立派に戦ってきた男の生き様であり、それこそ男の魂の軌跡とも言え、死は決して敗北ではないと言いたいのです。しかし、
彼の存在そのものを愛してきた残された家族の方々や、その他もろもろの人達の悲しみや哀しみを思いやるならば、
自ら身体の破滅を選んだかのような彼の生き様に愚痴の一つも言ってみたいのです。一面識もないあこがれのラガーマンであり、
全くの同時代を全くの別世界で生きてきた人でした。数年前誰もいない鈴ヶ岳をたった一人で登った思い出が、
彼の死を鮮烈な大きな喪失として私に感じさせました。
そして同世代の男達に多分幾人かはいるであろう自分達の存在をいとおしんでくれる人の為に「オーイみんなしぶとく生き残ろうぜ」
と声をかけたくなりました。
文芸作品
・障害の妻と暮すや永き日を独りの饒舌彈みて淋し
・夢の旅終えきて夜の鉄線の白花咲くに安らぎている
・妻頼る頼られる吾も先がなし歳だけ加速子供ら遠し
影山 えいじ
・天の川 ひときわ光る銀星の 昔をしのび 空をあをぎぬ
梁瀬さと
編集後記
みなさまこんにちは。今回のさんぽみちはいかがでしたか?「ん!なにかが変わった!」と感じた方、素晴らしいです。
今回からやや内容を絞って記載する事にしました。みなさまに読みやすく、おもしろく、また為になるような新聞を作れるよう、広報委員一同、
日々努力していきたいと思います。みなさまのご意見もじゃんじゃん引き受けていきたいと思っていますので、宜しくお願いします。
広報委員 坂井美惠子