平成16年11月号
11月号 もくじ
********** 今月のトピックス **********
今年も頑張りました秋の大運動会
藤寿流の発表会
誕生日会で職員寸劇
職員旅行に行ってきました
あかしあの里・わきあいあい便り
ゆめさき便り
今月のリハビリ敢闘賞
投稿作品
********* 名倉院長の健康豆知識 *********
年賀状への想い
*********** 11月の行事予定 ***********
********* 編集後記【あしあと】 *********
今年も頑張りました秋の大運動会
秋の一大イベント、運動会が各部署にて行われましたので、ご報告いたします。
各部署とも楽しい競技種目を考え、大いに盛り上がったようです。皆様、お疲れ様でした。
療養棟2階
療養棟2階では、10月13日に毎年恒例となる秋の大運動会を行いました。
当日は、入所者の皆様・職員が赤・青・黄色の3つのチームに分かれ、「風船送り競争」「玉入れ競争」職員による「あめ玉探し競争」の3つの競技を行いました。「風船送り競争」では、手に汗握る接戦となり盛り上がりました。「玉入れ競争」では、一度にいくつもの玉を投げようとする方、終了の合図がなっても真剣に投げ入れている方と様々な姿を垣間見ることができました。最後に行われた職員による「あめ玉探し競争」では、小麦粉の中に隠されたあめ玉を手を使わずに口だけで探すため、出場した職員は顔中粉だらけとなり、その姿を見て会場は大爆笑となりました。
ケガをされる方もなく、入所者の皆様と職員が一致団結し、記録よりも記憶に残る楽しい運動会となりました。皆様、大変お疲れ様でした。
療養棟3階
「ヨーイ、スタート!」
のかけ声と同時に始まりました療養棟3階・秋の大運動会。赤組、白組に分かれ、はちまきを巻いた途端、利用者・職員共に気合が入ります。
「菓子取り競争」では、両チーム5名づつ代表を選び競いましたが、中には早くお菓子を取ろうと焦りフライングする方もいました。「玉入れ競争」は全員参加で行い、色々な手段を使い箱をたくさん入れようと目掛けて投げ入れました。結果は接戦のように思われましたが、白組が10個以上の差をつけ快勝しました。最後の競技・職員対抗による「あめ玉取り競争」では、各チームの職員が出場し、利用者の方々はチーム一丸となって応援していました。中には職員の粉だらけの顔を見て、ビックリされている方もいました。
総合結果は、5点差で白組の優勝。白組の皆さんは大喜び、一方、負けた赤組の皆さんは負けて悔しいところですが、みんな良く頑張ったと一人ひとりの力を称えあっていました。 両チームとも満足のいく運動会となりました。
通所リハビリ
通所リハビリでは、10月11日・12日の2日間、秋の大運動会を行いました。
日頃のリハビリの成果を発揮すべく、選手宣誓を皮切りに赤・白・黄色の3組に分かれ熱戦が繰り広げられました。
始めに、利用者の方による借り物競争が行われました。カードの指示どおりにカツラを被ったり、女装をしたりとゴールになかなかたどり着けず四苦八苦される姿は、他の応援者の笑いを誘いました。続く職員対抗による借り物競争では、からし入りシュークリームや特大バナナを丸ごと食べたりと普段見られない職員の必死な姿にまたもや大爆笑。最終決戦は、玉入れ競争にてチーム一丸となり優勝を目指しました。
全競技とも甲乙付けがたい大接戦となり、各組引き分けという結果となりましたが、リハビリの成果は十分に発揮され満足のいく大運動会となったようです。
藤寿流の発表会
10月9日、通所リハビリルームにて藤寿流の発表会が行われました。
「岸壁の母」の踊りでは、戦争に行った息子を待つ母の姿が表現されていて、「情景が目に浮かぶよ」と戦争当時を思い出し涙ぐまれる方や、「普段カラオケで聴き慣れた曲も、踊りが付くことでまた一味違う楽しみ方があるんだね」と感動される方など、皆さん思い思いに楽しまれていた様子です。
台風接近の中、予定通り行われるのか心配でしたが、外の天候を気にすることなく踊りの曲を一緒に口ずさみながら楽しい一時を過ごすことができました。
誕生日会で職員寸劇
通所リハビリでは、10月27・28・29日の3日間に18名の方の誕生日会を行いました。
今回はゆっくりと利用者の方に楽しんでいただくために、ゲームを一切無くして職員による寸劇「オレオレ詐欺」を行いました。3日間とも芸達者の職員が集まり、また日頃の練習の成果もあり、参加された利用者の方々は普段見られない職員の演技力にびっくりしながら大変喜ばれていました。
これからも利用者の方々に喜んでいただけるような余興を考え練習を重ね、また機会があれば披露していきたいと思っています。楽しみにしていて下さい。
職員旅行に行ってきました
9月29日、10月3日、24日の3班に分かれて職員旅行に行って来ました。今年の行き先は「東京ドームシティと浅草・屋形船」で、東京ドームシティでは温泉と遊園地を選択し自由行動の後、浅草で集合し屋形船で東京の夜景を見ながらの宴会となりました。
1班目、2班目はあいにくの雨となってしまいましたが、遊園地ではショッピングモールや屋内アトラクションも沢山あり、また温泉ではマッサージやあかすりなどもでき楽しむことができました。
そして何より良い思いでとなったのが屋形船でした。個人ではなかなか経験することがないので、初めての職員がほとんどでした。始めは思っていた以上に揺れる船に驚きましたが、お酒が入り盛り上がっていくうちに揺れも気にならなくなり、キレイな夜景を見ながら揚げたての天ぷらやお刺身をいただくことができ、皆さん大満足でした。中には、船酔いし楽しめなかった職員もいたようでしたが・・・。
日頃、話すことの少ない他部署の方と交流がもて、職員同士が親睦を深めることができ、とても良い旅行となりました。
報告者 親睦会 金森
あかしあの里・わきあいあい便り
グループホームII
グループホームIIでは、
10月7日の昼食に焼肉パーティーを行いました。
以前より入居者の方から「自分で肉を焼き、ゆっくり食べたい」という要望があり、今回初めて実施しました。お肉と野菜を鉄板にのせ、
「まだかなぁ」と目を輝かせながら待ち遠しい様子でした。早速、焼けたお肉を口に入れると、各々がとても満足そうな笑みを浮かべ、
「おいしい」と話されていました。
入居者の方にとって、食事が与える影響というのはとても大切だと感じました。
これからも入居者の方々の素晴らしい笑顔をたくさん見られるよう、職員一同支えていければと思います。
グループホームI
グループホームIでは、
10月15日に、りんご狩りに出かけました。
雨が続く日が多い中、当日は晴天に恵まれたりんご狩り日和となりました。太陽の陽射しで赤く光るりんごを見て、みな「美味しそうだね~」
と話をしながら、長く続くりんごの木の中から赤くなっているりんごをもぎ、大切に袋の中へと入れていました。
家族にも食べさせたいと真剣にりんごをもいでいる姿を拝見し、家族という絆の深さを感じさせていただきました。
昼食は、フラワー牧場にて周りの景色を眺めながら、手作りお弁当をいただきました。外での昼食は少し肌寒かったのですが、
「外での昼食はとても気持ち良いよ」という声も聞かれ、皆それぞれの思いを持ちながら楽しい一日を過ごしていただけと思います。
グループホームIII
グループホームIIIでは、10月29日、グループホームのデッキにてグループホーム・
デイサービス合同のいも煮会が行われました。
当日は天候にも恵まれ、外で食事をするのには最高の日となりました。皆さん、
グループホームⅢの前の畑で収穫された里芋などが入った手作りのけんちん汁やうどんを目の前に、
どれから手をつけたらいいのかと迷う姿も見られましたが、どれも美味しく残さず召し上がっていました。
「外で食べる食事は美味しいね」と皆さんとても満足された様子でした。
デイサービス
デイサービスでは、
10月13日に群馬町にある「はにわの里」へ行きコスモス畑で昼食会を行いました。
前日までの台風も過ぎ去り、秋晴れには少し寂しさを感じましたが、風もなく穏やかに半日を過ごすことができました。
畑一面に咲いているコスモスは満開で、ところどころ台風の影響を受け倒れているコスモスもありましたが、ピンク・紫・
白と色とりどりのコスモスを見て秋の桜を一身に感じることができました。
ちなみに昼食のお弁当は、職員・荒木君のお母さん特製で、おからや煮物、まぜご飯など外出の時はいつも美味しいお弁当を作ってくれます。
たくさんのコスモスに囲まれながら美味しいお弁当を食べ、利用者の方も職員も大満足して帰ってきました。
ゆめさき便り
デイサービスゆめさき
デイサービスゆめさきでは、
10月11日体育の日に、運動会を行いました。
今回は、利用者の方々に「体を動かしてもらう」「楽しんでもらう」ことを目的として、車椅子競走、玉入れ、
パン食い競走の3つを用意しました。
車椅子競走は、車椅子で走行しながら途中の課題をクリアしてゴールとなるというもので、
負けたくないという気持ちと焦りが交錯し普段見ることのない表情をされていました。いつもはおとなしい方も、
勝負がかかると違うんだなと実感しました。玉入れでは、子供の頃に戻ったように目を輝かせながら、一生懸命玉を投げ入れていました。
終了の合図が鳴っても夢中に玉を投げ入れる姿は、とても微笑ましい光景でした。最後のパン食い競走では、なかなか口にくわえることが出来ず、
ついつい手が出てしまう方が多かったようです。パン食い競走で各々が取ったパンをおやつの時間にいただき、運動会は終了しました。
一人のけが人を出すこともなく、利用者の方々に心地良い汗をかき楽しんでもらえたことは、
私たち職員にとって金メダル以上の喜びとなりました。
グループホームゆめさき
グループホームゆめさきでは、10月11日、沼田市へりんご狩りに行きました。前日まで雨が続き当日も天候が不安でしたが、
現地に着くと暑いくらいの晴天になりました。
りんご園では、入居者一人ひとりが自分の手でりんごを取りました。皆さん、りんごを取っている時は、
笑顔一杯でとても良い表情をしていました。お弁当を持参し、りんご園でけんちん汁とりんごをいただき、皆さん、普段以上に食欲旺盛でした。
後日、りんご園で取ったりんごを出し、りんご狩りの話をすると、「あの時は楽しかったね」「また行きたいねぇ」と話されていました。
今月のリハビリ敢闘賞
今月のリハビリ敢闘賞
今月のリハビリ敢闘賞は今井多代様です。
多代さんは、以前は車椅子をお使いになっていましたが、現在では交互式歩行器で歩けるようになりました。
今年の8月頃からリハビリの時間以外でも歩行器で歩かれるようになり、徐々に距離と時間を延ばしていき、ご家族の協力もありご自宅、
通所リハビリでも歩行器を使い歩かれています。 お人柄も穏やかで控えめな方なので、レクリエーションの時間には「出来るかしら」
とおっしゃりながら手先の器用さを活かした色々な折り紙作品を作ったり、詩吟に参加されたりとご活躍されています。
これからも笑顔を絶やさず、リハビリを続けていただけるよう、職員一同応援しています。
投稿作品
天保八年の飢饉に三十六ケ村を救った忠治の美談 坂本 正之助
忠治一家が赤城山に立て篭もりの経緯を触れてなかったが、 忠治が17歳の時に島村の伊三郎の賭場で人を殺して以来、四年後にまたも島村の伊三郎殺しで関八州の手配人として追われる凶状持ちで、 一時信州に逃げていたがほとぼりが冷めたのを良いことに本拠・ 国定村に戻って来たがやはり忠治は関八州の手配人として追われる身となっていたので、子分の日光の岡蔵、三木の文蔵、板割浅太郎、 清水の頑鉄、その外二十人程の子分を連れて赤城山の隠れ家・紫藤洞窟に立て篭もったのである。
そして飢饉が最悪の状況を呈こした天保8年(1837年)の頃、赤城山中にお訪ね者の賊が隠れていると、 それは忠治という博徒で数十人の子分を引き連れていると、 昨年の冬以来たびたび山を下りては飢饉に苦しむ民百姓に米銭を与へて助けているという噂が代官所に入った。 代官所が救助しなければならないのに忠治という博徒が民百姓を救っているということで、 本来なら民百姓の窮民を救うのは代官所にあるのに忠治に先を取られたので慌てたのは関八州を預かる取締役の代官・羽倉外記であった。 民百姓の飢饉に苦しむ窮民に手を差し伸べるとはもっての外だと関東代官である羽倉は、 代官羽倉に対する嫌味にもあたると憤慨してこれ迄よりも忠治への追求は厳しさを増した。そして忠治召し捕りの人相書が手配された。
だが、その頃、忠治は子分らと分散して生活圏が裕福な者・ 豪農商から借り受けた資金と忠治が子分一人を連れて現太田市呑竜大光院の蔵から盗み出した二千両と子分が借り集めた資金を合せて三千両を赤城村、 黒保根村、宮城村、大胡町、粕川村、佐波郡東村を含め三十六ヶ村の住民の家族に各家庭の人数割で、あそこは五両、 ここは三両と分け一夜の中に一軒一軒投げ込んだのである。
指名手配中の忠治が赤城山を下りて飢饉を救い忠治のお陰で飢饉を凌いだ村々はなんとか平穏を取り戻したが、 羽倉代官にしてみれば忠治その者については上州特有の博徒ぐらいの認識しかなかったと思ったのであろう。一方、 幕府では豪農商に差出金を依存せざるを得なかったが、それも一部の理解しか得られず切羽詰った状況であった。 この状況の中で忠治が劇盗を演じたのは流石に任侠美談としかいいようがない。
この後の忠治の経緯はお楽しみに。
文芸作品
星高く うす雲まくら 秋の月
飛ぶ鳥や もみじを背なに ひと休み
無事祈る 被害地に住む 友の顔
ゆれ動く 大地に届け あたたかさ
栗林 章治
人の手を 借りずにトイレに 行ける日を
夢見る日々を 老いたる妻は
縁ありて 夫婦となりて 共に老ゆ
余生の苦労 妻ひとり負せぬ
じいちゃんの 宝は何と 孫が聞く
ばあちゃんだよと 笑って答う
老吾に 算盤もたせ 電卓を
孫と足し算 競わんとする
血圧の 測定計ろと 袖まくり
生命の音の 尊さを聴く
影山 えいじ
坂本様、栗林様、影山様、ご投稿ありがとうございました。
名倉院長の健康豆知識
年賀状への想い
もう15年以上会っていませんが、年賀状のやりとりだけは欠かさず行っている患者さんがいます。約15年前、 その方から最初の年賀状を頂いた時は、本当に驚きました。失礼な話ですが、もうとっくにお亡くなりになったと思っていた方だったのです。
当時、私は大学の内科医局に研修医として所属し、一年目は大学で、二年目は外の病院で研修を行いました。大学院在学中でもあり、 何と無償で研修医としての仕事をしていました(3人の子供を抱え、どう生活していたか?話すと切なくなるので秘密です)。その患者さんは、 国立高崎病院で担当となった方でした。やせ細ってはいましたが、スタイルの良い60代後半の上品な目元がくっきりとした女性で、 若い頃は女優(松原智恵子さん風)になってもおかしくない程の素敵で清楚な方でした。病名は一般的には知られていませんが、 びまん性汎細気管支炎という感染症でした。この病気は慢性に持続する咳と痰、労作時に息切れを主症状としますが、 何より特徴的なのは膿性の痰で、その量は牛乳ビン1~2本以上に達します。毎朝、看護婦さんと協力して痰の排出を促すため、 背中を下から上の方へタッピングといって背中をとんとん叩きますと、沢山の痰が喀出され青白く息苦しげな患者さんの顔にほんのり赤味がさし、 にっこり微笑まれるお姿が思い出されます。当時(1980年代半頃)、 この病気はどんな抗生剤も無効な 後の悪い病気として知られていました。事実、排菌されている菌の種類を調べ、 有効と考えられる各種抗生剤を使いましたが、いずれも効果なく患者さんの様態は悪くなる一方で著明な高二酸化炭素血症が持続的にみられ、 物静かで我慢強いこの方は突然目の前で二度呼吸が止まり、二回挿管したエピソードがあります。 後にも先にも二回も挿管して救命し得た患者さんはこの方だけです。
万策尽き果てようかというある日、この病気に関する文献を再度調べていましたら、 この病気にエリスロマイシンという抗生剤の少量療法が有効であったという報告を目にしました。 エリスロマイシンのような古くて弱い薬をそれも通常量の半分以下使うというのは、 まるで強大な敵に立ち向かうに水鉄砲でぶつかるようなもので半信半疑の気持ちでしたが、他に有効な治療も見つからず実施することとしました。 大学のローテーションにより治療開始後数日して私は病院を離れ、 またその患者さんも暫らくして家の近くの病院に移ったため消息は分からずじまいとなっていました。冒頭の年賀状は、 その患者さんからのものだったのです。「先生、お陰さまですっかり良くなりました。体重も十キロ位増えて顔も丸くなりました。」 という文面に接し、当初、私はキツネにつままれたような感じでした。患者さんの名前と文章が咄嗟につながらず、「ああ、 エリスロマイシンが劇的に効いて良くなったんだ」と了解するのに暫らく時間がかかりました。
今では、びまん性汎細気管支炎にエリスロマイシン少量治療が有効であるというのは周知の事実となっていますが、 当時はあまり良く知られていませんでした。 現在でも一体どういうメカニズムでエリスロマイシンがその病気に限って有効であるのかという点に関してははっきりしていないというのが現状です。 医学史をひも解いてみますと、理屈ではなく偶然発見された治療法というのがいくつかあります。ペニシリンの発見などはその代表的な例です。 エリスロマイシン少量療法も偶然効果のあった治療法です。
毎年、流れるように達筆で素敵な年賀状に接する度、あの患者さんにお会いしたいと思うのですが、叶わず今日に至ってます。 お会いして思いっきり抱きしめたい彼女の存在と私の青い研修医時代の思い出の塊です。
11月の行事予定
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編集後記
さんぽみち11月、いかがだったでしょうか?
先日起こった新潟県中越地震。群馬県でもかなりの揺れを感じましたが、皆様のご自宅や新潟の親類の方々はご無事だったでしょうか?
利用者の方や職員の中にも新潟出身がたくさんいますので、皆様、とても心配されていると思います。
被害に遭われた方々は、今も余震が続く中、避難所生活を容儀なくされていますが、一刻も早い復興を心より祈念いたします。
《広報委員 石関》