平成16年12月号
12月号 もくじ
********** 今月のトピックス **********
紅葉狩りドライブに行って来ました
『四季の会』絵手紙作品展見学
NSKスイングキャッツコンサート開催
レーナ・ホレンダーさんが来館されました
療養棟三階の誕生日会
療養棟二階の誕生日会
あかしあの里・わきあいあい便り
ゆめさき便り
今月のリハビリ敢闘賞
投稿作品
********* 名倉院長の健康豆知識 *********
めまいの風景
*********** 12月の行事予定 ***********
********* 編集後記【あしあと】 *********
紅葉狩りドライブに行って来ました
~通所リハビリより~
紅葉のきれいな季節となり、通所リハビリでは紅葉狩りドライブに出かけましたので、その様子をご紹介します。
「秋の夕日に照る山も~み~じ~」通所リハビリでは、11月1日から6日までの一週間、水沢観音・船尾滝方面へ紅葉ドライブに行って来ました。各日共約25名の利用者の方々と職員数名が参加し車両四台に分乗していざ出発!
週初めは、天気があまり良くなく肌寒さを感じた日や小雨の降った日がありましたが、週末になるとお天気にも恵まれ紅葉も丁度見ごろになりました。
この時期になると恒例行事として毎年赤城山に出かけていたのですが、今年は行き先を変更してみました。水沢・船尾滝方面へは出かけたことがない利用者の方々が多く、「こんな近場で良い所があったのね~」「普段見ている赤城山からの景色と違ってとても楽しめたよ」と喜んで下さいました。
また車内では、BGMとしてお笑い芸人の漫談を収録したテープを流し、涙を流しながら大笑いする方やウンウンと頷きながら漫談の内容に共感していた方もいました。
話題に事欠くことなく終始楽しんで頂けたようでした。次回の通所リハビリでのドライブは、春の桜見ドライブとなりますので皆様お楽しみに!
『四季の会』絵手紙作品展見学
通所リハビリに絵手紙を教えてくださっている一柳和子先生の『四季の会』
の作品展が11月16日から19日まで前橋市総合福祉会館にて行われ、通所リハビリの利用者さんの作品も50点展示されました。
普段から絵手紙をされている方や、今回作品展のために始めて描かれる方など様々でしたが、大変素敵な作品に仕上がりました。
会期の間は利用者さんも会場へ赴き、自分の作品や他の絵手紙に見入っていて、絵手紙の世界を満喫されていました。
また、会場の一画では絵手紙の体験コーナーもあり、思い思いの着色で真剣に取り組まれる様子もうかがえました。
貴重な体験をさせて頂いた一柳先生を始め、四季の会の皆様方に感謝いたし、またこれから絵手紙を皆さんが楽しめると嬉しいと思います。
NSKスイングキャッツコンサート開催
11月20日、デイルームにて『NSKスイングキャッツ』の方々の慰問によるコンサートが行われました。
ジャズバンドということで、本格的なジャズから、昔懐かしいジャズ、演歌のジャズバージョン、
美空ひばりや加山雄三のメドレーなどをご披露くださり、迫力ある音に皆さん感動されていました。「チケットを買って聞きたいほどだよ」
と言われる方や涙を流しながら演奏を聞いている利用者の方もいらっしゃり大変盛り上がりました。
レーナ・ホレンダーさんが来館されました
10月26日、デンマークのコペンハーゲンより、レーナ・ホレンダーさんが当施設に来館されました。
ホレンダーさんは福祉先進国のデンマークで様々な福祉活動に携わっておられ、今回も実際の福祉の現場を見るために来られました。
ホレンダーさんは、とてもおおらかな笑顔で、通所リハビリを始め療養棟、グループホームなど当施設を見学されました。
通所リハビリでは、デンマークの言葉で「おはよう」や「さよなら」などを教えて頂き当日の利用者みんなで発声の練習をしました。その後、
利用者から大正琴にのせての「さくら」の演奏、「上を向いて歩こう」の歌が贈られ、ホレンダーさんも大変喜ばれていました。
後日、とても盛大な歓迎を受けたことに、お礼の手紙とデンマークの童話の本がすぐに送られてきました。大切に活用していきたいと思います。
是非皆さんも目を通してみて下さい。
療養棟三階の誕生日会
三階では11月25日、誕生日会の余興として、マジックショーを行いました。
いかにもマジックショーという感じのバックミュージックが始まると突如よく見覚えのあるマジシャンが現れました。
まずは種もしかけもない?一枚のハンカチの中から赤い布が出たり消えたりするマジックを披露すると大きな拍手が起こりました。
続いてはボールが別の場所へ瞬間移動するマジックや新聞紙の中に注いだはずの水が跡形もなく消えてしまったり、
はさみを入れたネクタイが切れてなかったり・・・。
次から次へと空中に現れるバラのマジックではシルクハットの底が無かった為種がばれてしまうというハプニングもありましたが、
皆さんは大変喜んでおられ見覚えのあるマジシャンも皆さんと楽しい時間を過ごせ、みんなが楽しめたマジックショーができました。
療養棟二階の誕生日会
11日24日、療養棟二階では11月生まれの方の誕生日会を行いました。
スタッフからの色紙やご家族の方からのメッセージカードなど皆さんからのお祝いのプレゼントが沢山よせられ、お誕生日を迎えられた方も、とても喜こばれていたようです。
スッタフからの余興プレゼントとして、まずは創春館の八代亜季!?ともいえる「雨の慕情」で盛り上がり、次はまめ絞りにハッピ姿でピシッと決めた女性スタッフによる「ソーラン節」!必死になって連日練習した為すごい筋肉痛の中臨みましたが、笑顔で一緒に手を叩いてくれる入所者の方を見たら、そんな痛みはどこかにふっとんでしまいました。
お誕生日者の中には、今月で102歳を迎えられた方もいらっしゃり、とても盛大で思い出に残るお誕生日会ができたと思います。
あかしあの里・わきあいあい便り
デイサービス
11月24日、
都丸八重子様81才の誕生日会を行いました。
11月25日、篠田中子様の84才の誕生日会を行いました。お二人とも11月29日生れでした。
皆さんと一緒にお誕生日会の歌でお祝いしました。11月6日には南橘地区文化祭へ見学に行ってきました。皆さん色々な踊りや音楽を見られ、楽しまれました。
グループホームI
11月7日日曜日に、
グループホーム三ユニット合同の運動会を創春館デイケアルームにて行いました。今年は、ユニット対抗と言う事もあり、それぞれ熱の入った戦いが繰り広げられました。
私達グループホームⅠでも、個々の力を発揮し、一生懸命頑張りました。玉入れが得意な人、風船入れが得意な人、
上手にパンを口でくわえゴールのテープを切る人、沢山の笑顔が見られた一時でした。惜しくも準優勝という結果でしたが、
来年は優勝できる様皆で力を合わせようと思います。3ユニット全員で食べたお弁当はとても美味しく、
普段より食欲旺盛な入居者の皆さんでした。
グループホームII
グループホームIIでは、11月1日に昼食を兼ねてシダックスへカラオケに出掛けました。
当日は、昼食を食べながらカラオケを楽しみました。大声で唄われる方、恥ずかしそうに唄われる方、気持ちよさそうに何曲も唄われる方、
等様々でしたが皆さんとても喜んで頂けたようです。
また、入居者の皆さんに喜んで頂ける様な企画を立てられたらと職員一同考えております。
グループホームIII
グループホームIIIでは、11月1日に予定していたもみじ狩りが悪天候のため中止となってしまいました。その後なかなか好天候に恵まれず、
22日素晴らしい秋晴れの日となり、子持村のふるさと館へドライブとなりました。
道中の木々の紅葉を見ながら、白井宿の白壁の美しさに入居者の方も感激し「昔はこんな壁があったんだね」と昔話で盛り上がりました。
ふるさと館に到着すると真っ赤なもみじが私たちを迎えてくれました。もみじの木の下で日向ぼっこをし、
穏やかな時間を過ごすことができました。
昼食に美味しいお蕎麦を頂くことができ、「奇麗なもみじと美味しいそばで今日は最高だ」と入居者の方の最高の笑顔を見ることができました。
ゆめさき便り
グループホームゆめさき
グループホームゆめさきでは、11月7日、
大間々のながめ公園に菊の花を見に行って来ました。 当日は天候に恵まれ、手作り弁当を持参し、
久々にご家族との外出を楽しまれた様です。手が込んだ菊人形の前で写真を撮ったり、力作に感心したり、
「本当に眺めの良い所だねー」と冗談も聞かれました。午後は余興場へ寄り、寄席を見ました。昔ながらの会場で、
親子三代一列に並んで舞台を見ている姿は、とても心温まるものを感じました。
無事帰路に着きお茶を飲みながら思い出話に花が咲きました。
デイサービスゆめさき
ディサービスゆめさきでは4日~15日までの約10日間、紅葉ドライブと買物ツアーに行ってきました。買物は吉岡町にある「食の駅ぐんま」
に立ち寄り、30分程買物を楽しみました。平日だったにもかかわらずなかなかの混み具合で、利用者さん達も「すごい人だねえ」とびっくり。
花や野菜、生鮮食品からお惣菜、お菓子まで揃っていて、みなさんお小遣いと相談しながら商品を手に取り、
何を買うか頭をひねっておられました。
紅葉は、同じく吉岡町の船尾公園に行き、赤や黄色に色づいた木々に「綺麗だねえ」と歓声をあげ、
しばしその美しい景色を堪能して頂きました。
持参した暖かい麦茶も川のせせらぎを聞きながら自然の素晴らしいパノラマをバックに飲むと格別おいしくなり、
みなさんおしゃべりもますます弾みました。
天候が心配されましたが特に崩れることもなく、みなさん口々に「楽しかった」「また来たい」と目を輝かせてお話してくださり、
本当に行って良かったと思いました。ゆめさきからの帰り時、ご家族へのお土産を嬉しそうに持ち帰った皆さんの笑顔が印象的な十日間でした。
今月のリハビリ敢闘賞
今月のリハビリ敢闘賞
今月のリハビリ敢闘賞は影山トメ様です。
いつも朗らかでお優しい笑顔を見せて下さり、リハビリにも積極的に取り組まれています。
以前は平行棒内にて歩行訓練を励まされていましたが、現在では立位もしっかりされ階段昇降や四点杖歩行練習にも取り組まれています。
レクリエーションの時間では、手先の器用さを活かし手芸やビーズ刺しゅうなどにも参加され、細かい作業ですが根気強く、
一つ一つ丁寧に作品を仕上げられています。
楽しみをもっともっと広げる事が出来ます様、職員一同応援していきたいと思います。
投稿作品
忠治一人旅で人命救助と山形屋藤蔵を懲らす 坂本 正之助
忠治が20数人の子分を連れて赤城山に立て篭もってから3年程が過ぎ、
忠治も山中での生活で世間の様子も知れず娑婆の風に当たってみたいと、また飢饉で苦しんだ民百姓の生活状況の探索がてらに、
ぶらりと子分も連れず生まれ故郷の国定村から木崎・境・高崎・前橋を旅して三日程の帰り道、
駒形宿に入った時には日もたっぷりと暮れあちこちの民家に灯燈の火が灯る頃に駒形宿を抜け大胡町に向い差し向かい、
赤城山を月の前にして足早に山林を右に折りて河原浜から鼻毛石に入った処で閻魔堂の前に出た。
閻魔堂を通り抜けようとした時、
忠治は何か人の気配にふと立ち止まり閻魔堂に近づいてみると閻魔堂の軒に帯を掛け首を吊ろうとしている年の頃なら七十を過ぎたと思う爺さんが目の前に。
忠治はその瞬間、腰の小松五郎義兼の名刀を抜き軒に吊るされた帯を切り落とした。その時、もんどり打って転げ落ちた爺さんは
「何処の殿方か知りませんが死なせてくださいお願いします」と忠治の前にひざまづき手を合わせた。
そこで忠治はどのようなことがあったか知らないが死のうと覚悟を決めたのには事情があることだろう、
もし差し支えなかったらお話下されと忠治が尋ねると、「有り難うございます。私は越後長岡の在から参りました佐兵衛と云う者でございます。
ご承知の通り、
上州の飢饉と同様越後長岡近在も不作続きで年貢が詰り借金の山にもかかわらず代官所の取立ては厳しく一家心中をはかる者もおり大変な事態でございます。
私もこの度年貢を納めるにおいて一人娘の『おみつ』を駒形宿の女遊屋山形藤蔵宅に五十両で身売りして、
その五十両を持って長岡に在所に帰る途中で何者か数人に金を奪われて途方に暮れ、
金も持たずに帰ることは出来ないと心案のあげく死を選んだ訳です。」と忠治の前に深々と頭を下げた。忠治はなるほどとうなづき、
でも爺さん死んで花見が咲くものかと爺さんを宥めて色々事情を聴いてみると、
二足の草鞋を持つあの悪党の山形屋藤蔵の仕業ではないかと忠治は感取り、
よし爺さん良く解かったと奸計を知った忠治は爺さんを連れて山形屋藤蔵の陣取る宿に乗り込んだ。
忠治は薬売りに扮して「御免なすって、薬売りでごんすが薬はいかがですか」と爺さんを外に待たせておいたまま山形屋藤蔵に話しかけた。
ところが、藤蔵は忠治とは気が付かず「薬売り処々を何処だと思う。処々は十手捕縄を持つ山形屋藤蔵である」と忠治に十手を差し向けた。
忠治は恐れもせず「ご承知の通り参上致しました。ついてはこの持参の薬を五十両でお買い求め戴きたい。」と藤蔵に云うと、
ふざけたことを申すなと忠治と気付かぬ藤蔵は十手捕縄で召し取ろうとした。堪忍袋の緒が切れた忠治は、「上州佐波郡国定村の忠治だ。
やい藤蔵、これでもテメエしらを切る気か。十手捕縄を預かりゃあ盗賊をしても良いという掟は何時できたんだ。」
と力づくで五十両を返させた挙げ句、娘のおみつを身請けするからと身売り証文を火鉢に焼き捨てておみつを奪い、その上、
おれは今道中の身で少々ふところが淋しいと草鞋銭として百両を脅し取り、なんなく父娘を帰郷させた。
伝承に彩られた任侠の忠治物語、また来年お楽しみに。
墓をつくる 橋本利三
私の家では、今度自分の家の墓地を持つことになった。 もともと橋本家の墓は、故郷の伊勢崎市茂呂町に今は亡き長男(福太郎)
の提唱で兄弟姉妹三人でお金を出し合って建てたものがある。私自身は、将来そこに入れば良いものと思っていたが、考えてみると一寸遠すぎて、
彼岸などにお参りする時も最近では伜に都合をつけてもらわなくてはならない有り様です。伜も、もっと近くにあれば良いと常々言っていた。
そこで、この度、近くの川原に墓地を求め、墓を建てることにした訳である。
先日、いろいろな墓を見学して橋本家の墓を建てる段階になって、宗派をどうするか?お寺さんはどこにしようか?
などいろいろな問題にぶつかった。
茨城大学助教授・磯田道史氏の説によれば、「墓石を持つ」ということがあまねく拡がったのは、江戸期のことである。「家」
制度が庶民にまで普及した時代は、私は赤穂浪士が討ち入りをした元禄前後からではないかと思っている。元禄頃から「庶民の墓」
が爆発的に増えるからである。先祖の霊を信じ、それを家の守り神として崇め、家名は代々連綿と続くものと考えて万世一系の子孫が「家の墓」
を永遠に守る。江戸時代からこういう思想が日本全体を覆い始めた。人間は、「永遠」ということを常に求める生物である。近世の日本は永遠を
「家」にも求めたらしい。そして皆が意志の墓を建て始めた。
「家は永遠」という話になると、「世襲」が当然視される。議員の世襲が話題にされるが、この根源も直接的には江戸時代にあるといって良い。
永田町では派閥のことを「ムラ」と呼び、自分の選挙区を「票田」と呼び、選挙活動のことを「田の草刈り」などというが、
これなど日本政界の文化が農村に根ざしていることを良く示している。これでは、「政治はあの家の家業である」という考えが起こり、
「そうしなさい」という言葉で誰が命じたのでもないのに、皆がそうしてしまう。これを無意識下の意識と言い、歴史学の世界では「マンタリテ」
と呼んでいる。我々が墓参りに行くのもマンタリテに操られているのかもしれない。日本人は誰に言われなくても墓参りには行くし、
家の名前なども大事にする。子供がいれば親子は川の字になって寝る。西洋のように夫婦の部屋と小さい子供の部屋は別々にはしない。
歴史的に出来た何気ない習慣。多分、こういうことが我々の無意識下の意識を作っている。
この基礎意識を作った江戸時代に逆上って日本人の真の姿を見ることが大切なことであろう。
文芸作品
夢踊る 可愛いや孫の 遊戯会
舞い落ちる 落葉と共に 日の速さ
新築の 家に師走の 声たのし
ゆく年の 心穏やか 賀状書き
栗林 章治*
坂本様、橋本様、栗林様、ご投稿ありがとうございました。
名倉院長の健康豆知識
めまいの風景
めまい、ふらつきを主訴として診察に来られる患者さんを診る場合、最初に尋ねなくてはならないのは、それはぐるぐる回るような(回転性)
めまいなのか、それとも立ちくらみとか身体がぐらつくような感じをめまいと言っているのかの区別です。もし回転性のめまいであれば、
それが耳の問題(内耳障害)によるものなのか、脳の問題(脳幹病変)なのかの鑑別が大切となります。鑑別に有用なのは、
脳幹性めまいではほとんどの場合、他の脳幹症状(物が二重に見える、顔面の筋力低下やしびれ、構音障害、嚥下障害等)を伴っていますが、
内耳障害によるめまいでは、耳鳴りや聴力低下を伴うことがあるが、しびれなどの他の神経学的異常は少ないと言われています。
これは私が国立高崎病院研修医時代(救急部勤務時)の話です。救急部は戦場のようなものです。その患者さんは、
立派な体格をした四十代後半の男性で、突然の意識障害、首から下の完全麻痺にて救急車で他の病院から搬送されてきました。奥様の話では、
会社から帰宅し夕食を食べた後、めまいがひどいとのことで近所の病院で点滴を受けた後三十分後位で突然意識がなくなり、
現在の状態になったとのことでしたが、点滴は通常めまいに対して一般的に使う薬剤で因果関係はありませんよと答えはしましたが、状況的には、
ご家族の疑問も仕方ないものと思われました。手足は微動だにぜず、対光反射も遅く、眼球は斜めに向いたままで、
呼吸も早くなったり遅くなったりの不規則呼吸でした。患者さんの状態から脳幹部の血管病変が考えられましたが、
後日の脳のCTで脳幹部の梗塞が確認されました。今にも止まりそうな不規則呼吸のため人口呼吸による呼吸管理を行ない、
心機能の評価と血管確保と初めて遭遇する疾患に右往左往しつつ、指導の先生に指示を仰ぎ治療にあたふたと夢中だったのが思い出されます。
つい先程まで元気だった人が、目の前で突然意識がなくなり、声も聴けなくなることの驚きは、
ご家族の皆様方にとっていかばかりのことであるか推察されます。まして、働き盛りで一家の大黒柱であってみれば、
本人の苦悩と悔しさは想像外のことでしょう。経過中、肺炎などを併発しましたが、無事既得状態も脱し、人工呼吸器もはずすことができたのは、
発病以来三週間も経ってからのことでした。患者さんの意識は戻り、こちらの話すことは良く理解できましたが、
首から下の麻痺は相変らずで声も出せず、意識の確認は目の合図で行ない、鼻からの管により栄養補給を行っている状態でした。
そうこうしているうちに私の救急修業も終え、患者さんと別れることとなりました。
患者さんが沢渡温泉病院でリハビリ入院中だと知ったのは、別れてから二年程経った頃の初冬でした。
そんなにも遠くまで会いに行こうとしたのは、何となくお会いしてみたいと思ったからでしょうか。
紅葉も終り冬枯れの風情が漂う狭い山間の田舎の風景を車から眺めながら、随分山奥に病院を建てたものだなあと感じたのが思い出されます。
淋しい周囲の風景とは違って、病院の中では様々な障害を抱えた患者さん達がリハビリに励み、一種の熱気さえ感じられました。
一階フロアでまごまごしていると、あっけなく患者さんの奥さんが声をかけてくれました。奥さんが「あなた先生よ」
と振り向いた傍らには車椅子に座った私の患者さんがいました。寝ている状態しか見たことがなかった人が座っているのを見て驚きましたが、
同時に一瞬のうちに私を確認し慟哭された患者さんの反応に胸がいっぱいになりました。やはり声は出ませんでしたが、目には涙が溢れ、
その表情とやせ細り小さくなった身体には、喜びと同時に深い哀愁が漂っていました。
突然患者さんに降りかかった不幸にどれ程の深い悲しみがあり、
ここに至る迄の闘病生活にどれ程の苦労があったのか瞬時に読み取ることができました。「先生、こんなに良くなりましたよ」
と明るく寄り添う奥様の姿に、発病以来献身的に介護されていた様子がよみがえり、私が神であったらと思いました。 別れ際に、
奥様お手製のピンクの手袋をつけた患者さんの手を握ったのはしっかりと憶えているのですが、
患者さんの手の応答があったかどうかは忘れてしまいました。めまいを訴えられる患者さんを診る度に、あの方の涙が思い出されます。
12月の行事予定
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編集後記
さんぽみち12月号、いかがだったでしょうか。
あっという間に月日は流れ、もう年の瀬。ご利用者の方と、「日が経つんが早いんね」と何度話をしたことか。日々過ぎていくばかりで一年間何ができたか、自問自答する今日この頃です。
何はともあれ、健康でいられるのが何より!風邪が流行して、体調を崩す話をよく聞きます。今年は、自然災害が多く、季節外れの台風、12月になったというのに夏日になるなど、本当に変な気候でした。くれぐれも風邪などをひかぬようにし、よい年をお迎えくださいませ。
《広報委員 大澤》