平成17年1月号
1月号 もくじ
********** 今月のトピックス **********
謹賀新年
各部署新年あいさつ
楽しかったクリスマス会
通所リハのクリスマスコンサート
通所リハの大忘年会
ねこバスがやってきました!
あかしあの里・わきあいあい便り
ゆめさき便り
今月のリハビリ敢闘賞
投稿作品
********* 名倉院長の健康豆知識 *********
ギランバレー症候群(?)
*********** 1月の行事予定 ***********
********* 編集後記【あしあと】 *********
謹賀新年
年頭挨拶
平成十七年の初春を迎え、皆様方に心からおめでとうございますの挨拶をお贈りさせていただきます。
昨年は新潟地震に巨大津波と大変な災害が発生した年でした。こうした不条理な現実を見せつけられる度に、学生時代読んだカミュの 「シジフォスの神話」が思い出されます。
シジフォスは神に罰を与えられます。それはシジフォスが大きな重い石を山頂にまで押し上げ、 まさに山頂に石を運びきろうかという瞬間に石を下まで落としてしまい、 再度シジフォスに山頂まで石を運ばせるという作業を永遠に繰り返させるという罰でした。 カミュは人生とはこうした不条理でせつないものだと訴えたのです(これは私の解釈ですが)。 こうしたカミュに対峙するにサルトルの存在があり、有名なサルトルとの論争を夢中で読んだ記憶はあるのですが、 内容についてはすっかり忘れてしまいました。今でもやはり様々な災害の報に接する度、 人生の不条理と人間の営みの空虚感というものに苛まれるのですが、 知らず知らず力強く重い石を押し上げているのも人間の営みの現実だと思えるのです。
昨年、テレビインタビューの中で、吉永小百合さんは、心に残る言葉はと聞かれた時、今年一月に封切られる映画「北の零年」 の中の台詞をあげられました。「夢を見る力がある限り、私達は生きて行ける」という言葉だそうです。
堅苦しい人生論は打ち捨てて、新年早々、私はこの台詞を聞くために伊勢崎MOVIXに出かけます。そして薄暗い映画館の席で、 独りでワクワクしながら大好きなキャラメルポップコーンとロイヤルミルクティーを味わうという至福の時間を過ごします。そして、 今年一年が皆様方にとって、沢山の至福の時間に恵まれる年でありますよう願っています。
医療法人富士たちばなクリニック
理事長 名倉 隆夫
各部署新年あいさつ
外松医師
迎春。『めでたさは 中くらいがよい おらが春』
本年もよろしくお願いいたします。
医事課
新年明けましておめでとうございます。
昨年より医事化にフレッシュマン二名が加わり、よりパワフルになりました。年々、医療法の改正により負担が増え疑問に感じられることも多くなったのではないでしょうか?そんな時はいつでもお問合せください。今年も不明瞭なことがないよう、日々勉強を重ねていきたいと思っております。本年も宜しくお願い致します。
居宅介護支援事業所
新年あけましておめでとうございます。
介護保険がスタートして今年で五年目、見直しの年です。なかなか分かりにくいところもありますが、上手に制度を利用し快適な在宅生活を続けるためのお手伝いをしていきたいと、ケアマネージャー一同頑張っています。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
福祉課
明けましておめでとうございます。
今年で介護保険制度も導入され五年目となりました。制度も大きく改革されようとしています。ご不明な点がございましたら、いつでもお気軽に声をかけて下さい。今年もよろしくお願いします。
リハビリ部門
新年明けましておめでとうございます。昨年中は色々とお世話になり心よりお礼申し上げます。
今年も皆様のお手伝いが出来ますようリハビリスタッフ一同力を合わせて頑張っていきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願い致します。
福祉課
明けましておめでとうございます。今年も一年よろしくお願い致します。
今年の福祉課は北嶋・水間の2名で頑張っていきたいと思います。
また、富士見村にデイサービスセンターゆめさき開設にあたり大澤が担当となりますので、よろしくお願い致します。
通所リハビリ
明けましておめでとうございます。今年も皆様お一人お一人にとって良い一年となりますように心からお祈り致します。
通所リハビリの歩みはこの春、十年目を迎えようとしています。皆様にますます元気に楽しく過ごしていただけるように、リハビリ場面での新しい取り組み、心和む空間作りなど具体的に進めてまいりたいと思っております。
皆様のお知恵を拝借しながら、皆様と共に歩ませていただきたいとスタッフ一同心から願っております。どうぞ宜しくお願い致します。
療養棟2階
あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。今年も季節に合わせて盛りだくさんの行事を予定しております。療養棟の皆さんと一緒にたくさんお話をして、たくさん食べて、たくさんリハビリをして体を動かし、そしてたくさん笑って・・・。幸せの「シワ」を私達職員と一緒に増やしていけたらと思います。今年も若さと元気と優しさで皆様を温かく包んでいけるよう頑張りますので、よろしくお願い致します。
療養棟3階
新年明けましておめでとうございます。
今年も利用者様・ご家族様が日々健康でそして笑顔いっぱいでお過ごしできる様、三階スタッフ一同心技体フル稼動でまいります。宜しくお願い致します。
デイサービスわきあいあい
新年あけましておめでとうございます。
本年も名前の通り「わきあいあい」と利用される皆様が楽しく過ごせるように頑張っていきたいと思います。本年も宜しくお願い致します。
グループホームあかしあの里
明けましておめでとうございます。
今年もグループホームあかしあの里の皆様方が元気で新年を迎えることが出来ました。今年も入居者の方々とスタッフが力を合わせ明るい年にしていきたいと思います。宜しくお願い申し上げます。
グループホームゆめさき
あけましておめでとうございます。ご家族そろって良い新年を迎えられたことと思います。
ゆめさきとなり二年目を迎え、我々も心機一転、決意を新たにしております。そして気持ち良く仕事をするためにも、一日一日向上し、チームワークと情熱を持って明るいホーム作りに努めたいとスタッフ一同思っております。この一年よろしくお願い申し上げます。
デイサービスセンターゆめさき
明けましておめでとうございます。
本年一月二十日で開設一周年を迎えます。これからも「明るく・楽しく・皆様に愛されるデイサービス」を目指しスタッフ一同頑張りたいと思います。若くて格好良い?男性職員と若くてキレイな?女性職員が皆様のお越しをお待ちしております。
ケアプランセンターゆめさき
あけましておめでとうございます。
ケアプランセンターゆめさきは昨年三月、富士見村に開設しました。職員二名で利用者の方の相談援助を行っています。一年足らずで未熟な部分が多々ありますが、利用者の方の希望に添い、自宅で生きがいを持って生活していただけるよう今年も頑張りたいと思います。
訪問看護ステーションあかしあ
明けましておめでとうございます。
事務所を移転し、もうすぐ一年が過ぎます。スタッフも新しいメンバーが加わり、「元気」と「笑顔」で在宅生活する利用者の皆様のお手伝いが出来たらと思っています。一人一人の「笑顔」が利用者の皆様、そして私達の元気の源になったらいいですね。今年一年たくさん笑って過ごしましょう。
ヘルパーステーション創春
明けましておめでとうございます。ご利用者の皆様、穏やかなお正月を過ごされたでしようか?
今年も笑顔と体力で(正月太りがチョッピリ気になります)、住み慣れた我が家で安心して暮らせる、ご家族様が安心してケアを任せられる、心も身体も生き生きと元気がでる、このような支援を皆様から学びながら行って行きたいとスタッフ一同張り切っています。どうぞよろしくお願いいたします。
楽しかったクリスマス会
療養棟二階
療養棟二階では、
十二月二十二日に少し早いクリスマス会とおやつ作りを行いました。まずははやる気持ちを抑えつつ、「きよしこの夜」を合唱し、
いよいよケーキ作りの始まりです。とその前に作り方の説明です。
この頃になるともう説明そっちのけでおいしそうな食材しか目に飛び込んできません。
おやつ作りが始まると皆さん目を丸くしてスポンジケーキ・クリーム・フルーツなどと格闘しおりました。
賑やかに過ぎていったケーキ作りも終了し、仕上がり具合を見るとやはり男性は豪快に、女性は繊細に?出来上がりました。
サンタクロ―スも二人来て、トナカイならぬ犬かい?も登場し、入所者とサンタクロース達の楽しいおやつ作りも無事終了。
楽しいおいしいクリスマスはお開きとなりました。 また来年!メリークリスマス
療養棟三階
三階では十二月十六日に少し早いクリスマス会を兼ねたおやつ作りを行いました。
まずはサンタの衣装に身を包んだスタッフからハンドベルにて「きよしこの夜」の演奏をプレゼントしました。
普段余り耳にする事のない清んだ音色に皆さん聞きほれていらっしゃいました。
その後はクリスマスという事でみんなで協力しながらクリスマスケーキ作りに挑戦しました。スポンジにクリームを塗る方、
フルーツをトッピングする方、中には一足早く口に運んでしまう方もいらっしゃいましたが、みんなで協力したかいがあり、
美味しそうなクリスマスケーキを作ることが出来ました。やはり、自分で作ったケーキは格別と見えて「ケーキ屋さんで買うよりも美味しいよ」
と大満足している方が多くいらっしゃいました。
たくさんの方の笑顔が見られ、とても楽しいケーキ作りが出来ました。
通所リハビリのクリスマスコンサート&大忘年会
クリスマスコンサート
メリークリスマス!
十二月二十二日にコールポプリ、二十五日にひまわりコーラスのクリスマスコンサートが開かれました。
コールポプリのコンサートでは、キャンドルを胸に聖夜を歌いながらフロアーを一周し厳粛な雰囲気のなか厳かにコンサートが始まりました。
澄んだ綺麗な声に利用者の皆様も静かにしっとりと聞き入っていました。
ひまわりコーラスもクリスマス当日ということもあり、サンタクロースからのプレゼントがあったり、
アンコールが何回もあったりと楽しいクリスマスコンサートとなりました。
大忘年会
十二月二十七日から三十日まで賑やかに忘年会が開かれました。
歌やゲームで大変盛り上がった忘年会となりましたが、特にゲームでは本物の具材を使いお雑煮を作りました。
職員が二組の夫婦となりどちらが幸せそうに食べているか、又盛り付け等も審査の対象になり勝敗を決めました。職員余興では、
全員によるマツケンサンバ・男性職員のダンスを披露しましたが、体を揺らしリズムを取ったり手拍子をしたりと楽しんで頂けたようでした。
最後に全職員より一年間の感謝の気持ちを込め一言づつ挨拶をし無事終わる事が出来ました。利用者の皆様一年間ありがとうございました。
来年も楽しい一年でありますように!
ねこバスがやって来ました!
十二月十五日、「ニャー!ニャー!」猫バスと共に可愛い園児達六十人が、元気な風を吹き込みに創春館にやって来ました。
到着後、創春館には歓喜の声があがります。数多く慰問に来てくださるボランティアの中で一、二を争う人気度です。
今回も工夫をこらした内容で歌・遊戯・手遊び等、合せて十種類の出し物が披露されました。
訪れる度にレベルアップしているダンスや歌に利用者の方々の拍手や声援が鳴りやみません。そして、可愛い踊りにつられ、
自然と手足が動く方、思わず感極まって涙ぐむ方も見受けられました。
あっという間の一時間でしたが、可愛い園児からいっぱいの元気をもらいました。ポケット幼稚園の皆さん、本当にありがとうございました。
あかしあの里・わきあいあい便り
あかしあの里I
あかしあの里 I では十二月二十五日、
入居者のご家族同士の親睦を深め合って頂く為に、忘年会を兼ねた家族会を行いました。
入居者、ご家族、スタッフ総勢二十九名でした。鶏団子鍋、栗入りお赤飯、うどん等を頂きながら、
ご家族の方と楽しく過ごされている入居者の笑顔を拝見しますと、今回は急なことではありましたが、「開いてよかった。」と実感致しました。
ご家族や他のご家族の方とも親交を深められ楽しいひとときを過ごして頂けたかと思います。今回も、
家族会会長の出牛様が案内状を出して下さり、大変お世話になりました。
あかしあの里II
グループホームIIでは、
十二月十日に群馬の森へ外食ツアーへ行ってきました。
天候にも恵まれ入居者の方も外出される準備をいそいそとされています。出発の準備も整い十時には出発できました。
途中道路が渋滞するアクシデントもありましたが無事群馬の森へ到着しました。歴史博物館を見学し昔の民家の模型、
農機機具など様々な展示物を見学し入居者の方は懐かしそうに見ていました。農家の経験がある方は「これ使ったことあるよ。」
と話され当時の事を思いだされていた様子でした。
充分、博物館を散策し帰りは入居者の方が楽しみにされている外食でカッパ鮨です。自分の好きなものをスタッフに取ってもらい、
いつもと違う昼食を満喫されていました。 これからも、
入居者の方々が楽しみにされている事を多く取り入れた行事を企画し楽しんで頂けるように頑張っていきたいと思います。
あかしあの里III
二月二十四日、クリスマスイブに入居者のみなさんとスタッフでクリスマスパティーを行いました。
サンタクロースがトナカイに乗り突然目の前に現れてみなさんにプレゼントを下さいました。
たくさんのご馳走においしいケーキにそしてプレゼント!みなさんの笑顔が今更に輝いて見えました。例年なく暖かいクリスマスイブ、
ホワイトクリスマスとはいきませんでしたが、楽しい一時を過ごせました。
デイサービス わきあいあい
十二月二十五日、クリスマス会と忘年会を一緒に行わせていただきました。
今回は季節を味わってもらうの目的に利用者の皆様と一緒に「ジングルベル」から「お正月」などの色々な歌を唄いました。途中から、
吉田次長サンタが登場し甘いみかんのプレゼントと、利用者の方がサンタクロースになっての記念撮影で終了しました。
そのあとはケーキを用意させて頂き、一時間の短い間を楽しんで頂けたことと思います。
ゆめさき便り
デイサービスセンターゆめさき
デイサービスセンターゆめさきでは、
年末の二十八日・二十九日・三十日の三日間、忘年会を行いました。
始めに、利用者の方々と一緒に乾杯をし一年間の思い出話で盛り上がりました。「今年一年はどうでしたか?」との問いに、多くの方は
「特に何もなかった」と話されておりましたが、大きな事故や病気もなく過ごされたことが一番良いことだはなかったかと思います。中には
「良かったことは、ゆめさきに来るようになったこと」と言ってくださる方もいらっしゃいました。一年を振り返った後は、
カラオケで盛り上がりました。マイクを向けると嫌な顔をされる方も、曲が流れれば自然と口ずさんでいました。最後に職員余興として、
二人羽織を行いました。職員が前で利用者の方が後ろになり化粧を施しました。想像以上の出来栄えに、利用者の方から「キレイ」
というお言葉と大笑いされる顔を見ることができました。
デイサービスが開始されてから一年が経とうとしていますが、
十七年度はより多くの利用者の方々に喜んでいただけるよう頑張っていきたいと思います。
グループホームゆめさき
グループホームゆめさきでは、
十二月二十六日に今年最後の家族会合同イベントとして、大掃除と餅つきを行いました。これは、ゆめさき恒例行事の一つであり、
特に餅つきは入居者・職員とも楽しみの一つであります。
大きな掛声が玄関より聞こえ出すと、入居者の皆様も一人二人と集まって参りました。からみ餅、黄な粉餅とつきたての餅をいただき、
「やはり家でつかないとこういう物は食べられないね」と楽しい一時を過ごしました。夜になっても、
グループホーム内ではもちつきの話で盛り上がっていました。
今月のリハビリ敢闘賞
今月のリハビリ敢闘賞
今回の敢闘賞は、一木志奈子様です。水・日曜日を除く、
毎朝九時に来館し、一木様の忙しい一日が始まります。来館され早六ヶ月、数多くあるリハビリメニューをスムーズにこなせるようになりました。
リハビリに対する前向きな姿勢は誰にも負けていません。他の利用者からも「あの人は頑張り屋さん」と評判です。
努力が実り歩行も安定され一歩一歩力強く訓練されています。そんな一木様は当館で、今輝いている女性の一人です。
投稿作品
日の暮れぬうちに
~南無の会前会長 松原泰道氏の話より~
橋本利三
ある雑誌に掲載されていた南無の会前会長 松原泰道氏の話ですが、
とても感動したので皆様に紹介いたします。
「相田みつを」さんの詩
生きているうち
働けるうち
日の暮れぬうち
この詩から私は話をさせて戴こうと思います。人間六十歳で定年になったと思ってはもったいない。人生の夕暮れ時は「人生の収穫期」です。
そして夕日に照らされる山は一日のうちで一番美しいように、人生の夕暮れ時は第二の青春でもあるのです。
八十五 八十三と 積み上げし
二人の積み木 ゆらゆら動く
この詩は、お孫さんが積み木遊びをして遊んでいたのでしょう。そこでおじいさんとおばあさんが童心に帰って遊び始め、「今度は俺の番だな」
と代わりにばんこに積み木を始めたのでしょう。考えてみれば、人生も積み木を積み上げていくようなものです。底がしっかりしていかないと、
ゆらゆら動きます。いえ、ゆらゆら動く、その不安定こそがそのまま人生なんです。
第二の青春も積み木のように人生を積み上げていって初めてできるものです。これは棺桶に入ることではありません。
真の人間になることを言います。
詩人「をさはるみ」作の「独り言」という詩に
私が私になるために
人生の失敗も 必要でした
無駄な苦心も 骨折りも 悲しみも
すべて必要でした
私が私になれた今
みんな あなたのお陰です
恩人たちに手を合わせ ありがとうございました
とひとりごと
私が私になるということは、人間が完成するということです。
「恩人たちに手を合わせる」の「恩」という考え方はインドよりも中国の儒教の思想で盛んになりました。又この「恩」という字は「心」
の上に原因の「因」と書きます。だから「恩」とは「原因を知る心」と意訳できます。
ここで一つの例を挙げます。第二次世界大戦中にアウシュビッツに、その妻と共に収容され、
奥さんはガス室で殺されたオーストラリアの精神科医のV・E・
フランクルは何とか助かって故国へ戻り精神科の病院を再開することが出来ました。
その病院で心から信頼している婦長さんが病気になった時のことです。
婦長さんは責任を感じて、「先生に申し訳ない。患者さんに申し訳ない」と泣いていました。すると、彼がこう言うんです。
「婦長よ、君は確かに素晴らしい看護婦だ。しかし今、君は病人なんだ。これまで君は患者に対して本当に良く手を尽くしてきた。
でもどうだろう。自分が実際に患者になってみると、ここが足らない、あそこは考え違いをしていたと、いろいろ分かってくるだろう。
だから君は、婦長では分からない、病人にならないと分からない看護の秘訣を掴むんだ。それが君の、今の生き方になるんだ」。
「日の暮れぬうちに、命あるうちに」というのは、こういうことなのだと思います。
今何ができるのかを考え、今自分にしかできないことを実践していく。日の暮れぬうちに、この最後の美しい時に、
私たちは本当の人間になることができるのです。
とても良い話ではありませんか。
国定忠治と三人の女性 坂本 正之助
創春館名倉院長さん、スタッフの皆様ならびに来館者の皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
さて本年も昨年に引き続き国定忠治新春第一弾として赤城山中に立て篭もってからのエピソードをお話いたします。
世間では国定忠治を悪党とみるか現在の暴力団とみるか、または善人とみるか。私からみれば、
極道者と又博徒任侠をもって売り出した忠治としては義理人情に徹した「強気を挫き弱きを救う」、
極道においては稀にない任侠者として評価します。
当時、博徒がお上の手先になって十手を預かる二足の草鞋を嫌悪し、お上に徹底抗戦した忠治は豊かさを追求し、
ぬくぬくと一億総中流の幻想に酔った戦後五十数年歓迎されざる思い越したくない人物となった激動の幕末をやり過ごし、
お上との調和に努めハッピーエンドの生涯を全うした博徒・清水次郎長こと山本長五郎が受け入れられたのとは対照的である。
歴史の中に埋もれてしまった忠治ではあるが、忠治のエネルギーは明るい近代的コースから排除された人々の怨念の深層にマグマとなって埋積し、
無慈悲、無道がまかりとおる世紀末の現世を睨んだ人物だと思います。
また、忠治が二十数人の子分を率いて赤城山中に立て篭もって何年間も過ごすことができたのは、
忠治の力となった女が三人いたからと思います。一人は本妻の鶴、第一の妾・お徳、第二の妾・
町の三人が役人の目を潜って陰日向となり尽くしていたから二十数十人の大所帯が洞穴の中で生活できたのである。なかでも、
お徳という女は男勝り女親分肌の女であった。お徳はもともと忠治の子分の千代松の女房で、
忠治が島村の伊三郎殺しで役人に追われ信州に逃れていた時、千代松が伊三郎の身内の者に博打場で些細なことから喧嘩となり殺され、
お徳は二十四歳にして後家となり千代松の両親と暮らしていた。
忠治はお徳に子供もなく二十四歳の若さで後家では惜しい女だと思い何かにつけて話し相手となっているうちに、
お徳も任侠肌の女であるから時を過ごさずに忠治と懇意になって第一の妾となった。三人の中でも最も若く、二十一歳の時に上州有馬村
(現渋川市)の小農から五目牛村(現赤堀町)の豪農千代松のところに雇いの奉公人として入った。又この千代松が極道者で忠治の子分であり、
既に妻がいたがお徳の器量に惚れて妻を追い出し後釜になったが千代松は殺されたので、
忠治と愛憎の仲となり任侠国定忠治の最期を仕上げるのに大きな役割を果したのである。
話は余談となりますが、忠治は三人の女に尽くして貰ったが、私・坂本正之助は六人の女と結婚し全ての女に尽くしてしまった。
また不思議に別れた女六人とも現在、幸せな生活を送っている。よく人に、あんたは当たり睾丸ではないかと言われたこともある。
自分の幸せを女性に注いでしまったのではと笑われたことがあります。六人の女性のうち最初の女から男の子一人、
最後の女から女の子二人を授かりました。これが私の全財産でした。六人の女性を含め百数十人の女性と同棲生活をしましたが、
現在は孤独な人生を送っています。でも、私は幸運な人生を送っていると思います。
話がそれましたが、さて忠治の話を進めます。忠治を官八州の役人が召し捕まえることができないのも忠治に恩義ある民百姓、
それに女三人の協力があってこそだと思います。だが、忠治が親子救出において山形屋藤蔵の二足の草鞋を嫌悪したとはいえ、
仮にもお上から十手を預かる藤蔵を脅し百両の金を取ったことから、藤蔵は代官に申し出て尚一層の取締りが厳しくなった。代官・
羽倉外記から関東取締出役の中山誠一郎と代わり、いよいよ忠治の赤城山中の生活も時間の問題となった。忠治まだ三十二歳、
血気盛んな時である。
これから先の忠治の立ち回りをお楽しみに。また来月のさんぽみちをご覧下さい。
旧友 ~遠い思い出から~
山田 享子
懐かしい雪国の友が訪ねて来た。
手を取り合うと二十四歳の時が急に心に返って来た。
病気で行けない私のために、彼女はどうしても逢いたかったとお互いの白髪の頭を笑いながら涙を拭く。
古い古いアルバムを見ては笑ったり泣いたり、心はすっかり青春の昔話に花が咲く。
何て嬉しいことでしょう。
二人の喜寿を祝ってワインを飲み、二人で夕食を食べ、二人で床を並べて寝る。 こんな日があるなんて、神様ほんとうに有難う。
また別れる時は、きっと二人は涙こらえて笑顔でねと約束する。
今度はまた天国で逢えるからね。
文芸作品
八年の 長き年月 リハビリで
優しさに 涙あふれる 冬の道
おさな子の ごとく喜ぶ 筆のあと
創春館 たのしく暮れる 春の宿
橋爪 慶子
柊の 角曲り行く 介護の娘
看護師の 声かけて行く 冬廊下
尽くされて 尽くす身となり 妻介護
支え合ふ 足して二で割る 老二人
いま二人 いつまでふたり 冬炬燵
影山 瑛
とり年の 誓いもあらた 思いやり
年明けて 孫集いたり お年玉
小寒に 梅ほころびて 春を待つ
栗林 章治
大澤様、橋本様、坂本様、橋爪様、影山様、栗林様、山田様、ご投稿ありがとうございました。
名倉院長の健康豆知識
ギランバレー症候群(?)
医者としてストレスのかかる状態というのは、 決して昼夜を分かたず治療に奔走している時ではありません。もちろん身体的には辛いのですが、精神的に医者をしてストレスを与えるのは、 診察をしている患者さんの診断がなかなかつかず、自分の不勉強と無能力さを思い知らされる時なのです。まして、医者になりたての頃であれば、 日々そうした思いの中で過ごすことになります。 これは、私が内科研修医なりたての頃の話です(当時、 私が研修医時代研修した群大病棟は内科と神経内科が共同で治療にあたっていました)。ある夜の八時頃、 いつものように数人の研修医達がナースステーションで様々な情報交換を行っているところに緊急入院ということで二十歳台前半の女性患者が入院し、 私が担当になりました。一見すると元気そうで、表情も明るく、どこも悪くなさそうな小柄な女性が車椅子で病棟に上がってきました。 主訴は下肢のしびれと脱力による突然の歩行障害とのことでした。時々、患者さんが自分の胸に自分の病名をつけた札をぶら下げてくれていたら、 どんなに嬉しいだろうと思うことがありますが、確かその時もそんな心境だったに違いありません。 ベテランの医者であれば突然の下肢のしびれと脱力という主訴で、いくつかの疾患が直ちに思い浮かぶのでしょうが、 何せ医者になりたてのペーパードライバーですから、やおら医学書を紐解き頭をひねる始末でした。
いくつかの疾患の可能性は探れたのですが診断には至らず、そのため治療を開始できず、下肢の脱力以外至って元気そうに見えるものですから、 その日の夜は経過を見るだけとなりました。翌日、上司の先生に報告したところ、「何をのんびりしているんだ、ギランバレー症候群が疑われる。 呼吸が止まるかも知れないから、大至急その準備をしておけ。それから髄液検査も必要だ。神経内科の先生にも相談するんだ。」 と矢継ぎ早の指示がでました。「ギランバレー症候群?呼吸が止まる?」と何だかキツネにつままれたような感じで、 朝見た患者さんの可憐であっけらかんとした表情を思い浮かべていました。
ギランバレー症候群:「のどの痛みや下痢などの風邪様の症状後一~三週間経って、四肢、特に下肢の脱力で発症し、急速に進行し、 時に呼吸器マヒに至ることもある多発生末梢神経炎症疾患である。」
相談した神経内科の高名な先生の診断もギランバレーでいいでしょうとのことでした。早速、 患者さんにここ一~三週間前に風邪様の症状はありましたかと聞くと、「ええ、今も風邪気味で熱がある気がします」との返事です。 膝をハンマーで叩く腱反射では、しっかり反応があり陽性でした。先程の先生に「教科書ではギランバレーでは腱反射はないとのことですが・・・ 」と聞くと、「そういう場合もあります」と話されました。背中から針を刺して髄液をとって調べる検査では、 明らかな異常所見が認められませんでしたが、ギランバレー症候群では早期に治療の必要があるため、 患者さんに病名とこれから大量のステロイド治療が必要であること、そしてその治療に伴う副作用などについて話しました。 何やら冷静な反応だったのが印象的でした。 病名を告げた翌日の朝のことでした。 狭いナースステーションで沢山の研修医や指導医がワイワイガヤガヤ騒いでいると、一人の若い看護婦さんが不満そうに私に言いました。「先生、 あのギランバレーの患者さん、夜中に歩いてトイレに行ってましたけどぉー」。それを横で聞いていた一人の指導医が叫ぶように宣言しました。 「詐病だ!」。それに呼応するように、その場にいた沢山の指導医が爆笑し大騒ぎになるのを横目に、 私はその言葉の意味が分かるのに少しの時間が必要でした。「彼女は嘘をついて病気になっていたんだよ。 これからの治療が恐ろしくなって正体をあらわしたんだ。病人じゃない筈だよ。確かめてごらん」という指導医の言葉を信じ、 精一杯自信あり気に彼女のベッドに向いました。もう彼女は状況を理解している様子でした。「歩けるんだろう」と詰問口調で言うと、 素直にハイと答えました。相談した神経内科の先生に昨夜の件を話し、再度診察していただきました。膝蓋腱反射を確認するため、 彼女の膝を思いっきりハンマーで叩きながら悔しくてたまらない感じで舌打ちする先生を見て、 大変な病気でなくて良かったとホッとした心境でした。
あの若い女性患者さんがどうして嘘をついてまで入院する必要があったのか良く憶えていません。でも、 痛い検査を我慢してまでも入院したいというのは、やはり立派な心の病のような気がします。
1月の行事予定
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編集後記
明けましておめでとうございます。
早いもので、平成になってから十七年目となりました。利用者の皆様の中には、明治・大正・昭和・平成と四時代を過ごされている方も居られますが、私も昭和から平成へと時代の変化を体験していますので、『もうこんなに月日は流れたのか』と、ふと驚きを覚えます。
私もいずれは新時代の若者と同じ時間を過ごすようになります。平成生まれの若者と同じ仕事をする、その感覚は実に新鮮ですがとても不思議な感覚に思います。実は、皆様が私と接する時もそれに似た想いがあるのでしょうか?自分が同じ立場にたった時、その答えは出るのかもしれませんね。
月日はあっという間に過ぎます。今を大切に、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
《広報委員 栗原》
お詫び
さんぽみち十二月号に掲載されました一部箇所につきまして、『誌季の会』絵手紙作品展見学とすべきところ、『四季の会』となっていました事を訂正するとともに、心よりお詫び申し上げます。