平成17年8月号
8月号 もくじ
********** 今月のトピックス **********
短冊に願いを込めて・・・
沢山の慰問の方々が来館されました
関先生の音楽教室
バーベキュー大会を行いました
あかしあの里・わきあいあい便り
ゆめさき便り
投稿作品
********* 名倉院長の健康豆知識 *********
若々しい脳
*********** 8月の行事予定 ***********
********* 編集後記【あしあと】 *********
短冊に願いを込めて・・・ ~七夕のイベントより~
通所リハビリ
7月7日、通所リハビリにて七夕のイベントを行いました。
織姫と彦星の星座の話、七夕にまつわる伝統の話をし、ゲームでは利用者様の中から織姫と彦星役の方を作り、4チームに別れ、
新聞紙や折り紙を使い変装ゲームをしました。飾りつけの最中は笑い声が絶えず、また飾られる利用者様は少し緊張されている様子でしたが、
綺麗な織姫とユニークな彦星に仕上がり、鏡に映った自分の姿に驚いたり笑ったりと、変装した姿にとても満足されていました。
利用者の方々に参加して頂くことが出来、とても楽しいイベントとなりました。
療養棟3階
7月7日、七夕の歌を全員で合唱してイベントはスタートし、思い思いの願いを込めた短冊を読み上げると拍手が沸き起こりました。そして、
今回はお楽しみとして3階食堂で流しそうめんを行い、手作りの竹の流しそうめん台を利用者全員で囲むと、
すでに皆さんワクワクされている様子で、竹の節を利用した器を手に持ち、そうめんが勢いよく流れ始めると歓声があがり、
夢中でそうめんを掴む事に熱中されていました。 予想以上に皆さん食が進み、表情もいきいきとされて、たくさんの笑顔が見られ、たくさんの
「珍しかった。」「楽しかった。」という意見が聞けて今回の企画は大成功だったように思います。また来年も行いますので、
皆様方楽しみにしていてください。
沢山の慰問の方々が来館されました
通所リハビリでは、今月も数多くのボランティアの方々による発表会が行なわれました。
まず、8日には藤寿流の皆様による舞踊会が行われました。恒例となりました舞踊会ですが、その度感動を与えて頂き、最期に利用者様・職員共に踊り楽しまれました。
11日には、コールたちばなの皆様によるコンサートが行われました。うっとうしい梅雨真只中のコンサートでしたが、童謡・唱歌等、
利用者の方も口づさみ、爽やかな歌声が響き渡りました。
19日には、晃峰会の皆様による民謡発表会が行われました。尺八・三味線に合わせ民謡・歌謡曲を披露していただき、
歌を好まれる利用者の方の歌声も聴かれました。
25日には、南橘フォークダンスクラブ「あじさい会」による発表会が行われました。暑い夏にふさわしく南国衣装に首飾り、
ムードたっぷりのフラダンス・フォークダンスを披露してくださいました。又、「いい湯だな」の曲に合わせ、リハビリ体操を指導して頂き、
利用者の方、職員共に楽しみながら身体を動かす場面もみられました。
来月もたくさんのイベントを企画してますので、楽しみにしていてください。
関先生の音楽教室
療養棟2階では、7月21日に関先生の音楽教室を行いました。
関先生のエレクトーンに合わせて、「夏の思い出」「われは海の子」「浜辺の歌」などの季節の歌や「とんがり帽子」「シャボン玉」
「湖畔の宿」などの懐かしい歌、計十曲を唄いました。
普段のレクリエーションでの歌と違い、関先生の楽しいお話をまじえながら、笑ったり唄ったり、普段は出さないような大きな声を出して、
良い気分転換にもリハビリにもなったようでした。
バーベキュー大会を行いました
7月23日・夜の7時から、親睦会主催による創春館の職員とぽらりす保育園の職員との交流を兼ねたバーベキュー大会を行いました。
仕事の後ということもあって、美味しく焼ける肉の匂いに「まだかまだか」と待ち切れない面持ちの職員達。
院長先生の乾杯を合図に沢山の肉や、焼き鳥、焼きそば、野菜炒めなどを頂きました。
また、普段あまり面識のないぽらりす保育園の職員の方とも、肉を囲みながら沢山のお話しをして交流を図る事が出来ました。
会の後半にはスイカ割りもあり、楽しく・美味しく交流会を終えることが出来ました。
今回蓄えたパワーを今後の仕事に発揮して行きたいと思います。
あかしあの里・わきあいあい便り
デイサービス わきあいあい
DSわきあいあいでは、
7月に渋川運動公園へ紫陽花見学を兼ねドライブに出掛けました。
園内へ入ると道に沿って青い紫陽花がたくさん咲き、利用者の皆さんも見入っていました。青い紫陽花は視線を独り占めするだけでなく、
暑い季節を涼しくしてくれる様に思います。
あかしあの里I
あかしあの里Iでは、
7月22日に榛名湖へお弁当を持ってドライブに出掛けました。 湖畔に着き、馬や馬車などを観て感動され、湖の景色を眺めながら美味しい手作りのお弁当を頂きました。
天気も良く、高原の風がとても気持ち良く、皆さん満足されて帰りました。帰りには伊香保で「湯の花まんじゅう」を買い、おやつに頂きました。
あかしあの里II
7月7日「七夕の日」にグループホームI・II・III・デイサービス合同で「七夕祭り」を行いました。昼食には焼きそば・たこ焼きを作り皆さんで頂きました。
かき氷も予定されていましたが機械の調子が悪く中止になってしまい、とても残念そうな顔をされた入居者もいらっしゃいました。
テラスに各ユニットで製作された七夕飾りを飾り、夏らしい雰囲気たっぷりの中を大勢で楽しむ事が出来ました。
今後も交流をもつ機会をたくさん企画していきたいと考えています。
あかしあの里III
あかしあの里IIIでは、7月・8月にかけて夢をかなえるツアーを行っています。
生まれ故郷へ行きたいとおっしゃる方は鬼石(生まれ故郷)の手前の藤岡までドライブへ出掛けました。
赤城山まで行かれた方は大沼まで行かれアイスクリームを美味しそうに召し上がりました。敷島公園にて静かに散歩を楽しまれた方、
ご近所の和菓子屋へ豆大福とようかんを買いに行かれた方、
榛名の霊園に行かれご主人のお墓参りをされた方と思い思いの夢をかなえることが出来ました。
ゆめさき便り
グループホームゆめさき
グループホームゆめさきでは、
3日に毎年恒例行事の一つの家族の方を交えてのバーベキュー大会を行いました。今回も利用者・その家族の方々と大勢の方が参加されましたが、当日はとても暑かったため室内で行いました。
今回は退居される方の送別会も兼ねておりましたが、家族の皆さんとの会話も弾み、焼肉に焼きそばにととたくさん召し上がっていただきました。良く笑い、良く食べ、とても楽しい一日を過ごすことが出来ました。
また来年も開催できることを楽しみにしたいと思います。
デイサービスセンターゆめさき
デイサービスセンターゆめさきでは、7・8・9日と七夕のイベントを行いました。
6月の下旬より、利用者の方々と一緒に七夕飾りを作り始め、短冊に願いごとを書いていただき、七日に七夕のお祝いを行いました。
七夕の当日は珍しく晴天で、織姫と彦星の経緯を説明した後、たなばたに引っかけタナボタゲームを行い盛り上がりました。
8・9日は、前橋七夕まつりを観に市街地へドライブに行きました。参加された方々も久しぶりの様子で、
昔と随分変わってしまったと話されていました。それでも見事に飾られた七夕飾りに自然と利用者の方々の足取りも軽く、
いつも以上に歩かれたようです。8日は平日ということもあり散策することが出来ましたが、9日の日は土曜日ということもあり、
また通行止めで車から降りて見学することは出来ませんでしたが、車中からの見学にも皆さん喜んでいただけたようでした。
11・12には、おやつ作りで夏らしい食べ物として「わらびもち」を作りました。職員も利用者の方々も初めてのわらびもち作りでしたが、
とても簡単に作ることができ美味しくいただくことが出来ました。
15・16日には、プロジェクターを使い昔懐かしいエノケンの映画を上映しました。皆さんとても懐かしそうに映画を観入っていたようです。
月末には、三日間にわたり7月生まれの方の誕生日会を行いました。
これからも、利用者の方々が楽しんでいただけるイベントを企画していきたいと思いますので、楽しみにしていて下さい。
投稿作品
行方を晦ました忠治が発病再起不能の噂坂本 正之助
行方を晦ましていた忠治も四十二才の男盛り、女からご無沙汰していた。
忠治は発病を感じてからさらに美人のお町の美肌が忘れられず弱気になった。 忠治は嘉永二年(一八四九)
十一月跡目を子分の境川安五郎にゆずり、妻鶴と愛妾のお町と同伴して会津方面にでも陰棲しようと考えた。
生まれ故郷の盗区を捨てるとなると決心がつきかねるが、逡巡しつつ月日を重ねた嘉永三年七月二十一日。忠治はお町の家を訪れたが、
生憎お町は田部井村の兄嘉藤次の所へ行っていて留守であった。それではと忠治はその足で田部井村へ向かい、嘉藤次の家に着いたのが、
夜の八時頃であった。忠治が「こんばんは、忠治で御座んす」と声を掛けると、お町の兄の嘉藤次が忠治の目の前に出て「お疲れさんです、
どうぞお上がり下さい」と丁重な餐しを受け、いつもの様に晩酌にあづかり十時頃別室でお町と床についた。
床について、一時もたったか忠治に突然中風が襲った。口がきけなくなり、身体は麻痺、目は一点を見つめるだけで、
口からはだらだらと涎を垂らしていた。お町は驚き飛び起きると指で涎をぬぐい、少し落ち着いたところで、使いを走らせ、
お町の弟の友蔵と跡目を継いだ安五郎らに来てもらった。中風に倒れ、身動きできぬ忠治をどうするか、鳩首相談の結果、
五目牛村の三妾のお徳のところにあづけるのが、最適の策であろうと決めて、翌日忠治をお徳の家に移すにあたって、
安五郎たちはお徳が平生よりお町を妬んでいるのを知っていたので、ここにくる途中に急に発病した嘘も方便と偽った。だが、
すでにお町が同衾中に発病が起こったことを知っていたお徳は大いに怒り、お町の処で倒れたのであるから、
お町が面倒みればよいと一行を押し返した。いかに忠治に惚れていたお徳でも、これだけは許さなかった。お徳は奉公人を多く抱え、
家屋敷も広く忠治を看護するには最適であったにも拘わらず、お徳を怒らせてしまった。愈々困った時の神頼み。そこで、
田部井村の名主西野日宇右衛門が浮かんだ。宇右衛門は天保飢饉のときといい、磯沼の浚シュクといい、
表参道を歩みながら忠治の同志として行動してきた人物であり、病に倒れ、動くことも出来ない忠治を見捨てることはなかろうと。
かくして忠治は、田部井村名主 宇右衛門の屋敷内にかくまわれ、療養することになった。だが、忠治を匿うことは、
盗区内では日常茶飯事であったろうが、忠治を匿おうには危険がある。忠治は御承知の通り、関所破りの悪党である。関所破りというと、
現在なら一町にあたる、警察署を襲ったことになるから、これは大変な事である。忠治が補縄になれば同罪である死罪となる。
当時悪党者と乍存宿いたし者は重き追放となった。忠治が磔となれば、匿い宿を提供した宇右衛門も勿論同罪となるから、死罪にあたる事になる。
宇右衛門にしても、身体を張らなければならない大事である。忠治が宇右衛門の家に匿われてから数日が過ぎて、
どこからとも流れたのであろうか、忠治再起不能との噂がとび、この噂を耳にした。忠治と縄張りを二分し、兄貴分として盟友関係にある、
あの上州きっての大親分・大前田栄五郎が忠治に書簡を送った。それには『中風は不治の病であるから、癒す薬はない。再起は難しい。
もうここ迄来たら関東取締役人の御縄を頂戴する前に、自ら処断することが肝要』と自決する事をすすめた。しかし、
忠治は病死で小心になったのか、忠治はこれに従わなかった。栄五郎の忠告は侠客忠治の最期を慮ってのことか、
それとも忠治捕縛後罪が自らに及ぶことを恐れてのことか、その点は不明である。
忠治とそれに従う者達は生きることを選択した忠治が会津の逃亡先から戻って四年、その間、忠治はよくぞ捕らえられずにいたものである。
盗区の人心はいまだ健在だったのである。しかし、中風の発病は忠治にとって致命的であった。身体は麻痺し、
言語も明瞭さを欠いていたのである。
忠治発病から、一ヶ月程が過ぎた後の八月十日夜、村の寄り合いがあり名主宇右衛門を頭で十数人が集会を開くことになった。
だがその夜生憎宇右衛門が急用の為、集会に出席することが出来ないので、番頭の弥吉を出したのが誤りで、
この番頭の弥吉は少し知能の悪い男で、話の弾みでうっかり「忠治がおらの家の裏山の洞窟にい」と云う事を漏らしてしまった。
これを聴いたのが集会所の中に岡引の手下がいて、これを幸いとお手柄になると、その夜のうちに関東取締りに知らせた。これを聴いた伊勢崎・大胡あたりで取締りをしていた役人達が、それとばかりに、宇右衛門屋敷内に急襲した。忠治は、抵抗するすべもなく捕えられたが、
身体の動かない忠治を捕らえるのは至って簡単なようであるが、発病して一ヶ月以上が経過していたとはいえ、
忠治の威令がそうさせたのであろう。忠治が捕らえられた洞窟に居あわせたのは、愛妾のお町とお徳の女性二人と子分の清五郎、
それにこの家の主宇右衛門ら五名がなんなく収容された。
さて、ここで忠治をはじめ逮捕者を留置したが、忠治だけは、別罪の者であるから、大人数の囚人を同じ場所に収容する事は出来ないので、
大悪党忠治だけを、伊勢崎藩中島牢を借用収監した。ほかの者は、分散して留置した。この度、国定村無宿忠次郎を召し捕ったが、
忠治中気の病の為、取調べができないので、治るまで中島牢に預け置くことにした。だが、忠治は入牢されたとは言うものの、さすが大物悪党、
いわゆる独立した牢舎ではなく、飯売下女を置く、民家の旅籠屋で中風の忠治は、旅籠の畳の部屋で夜具を提供されて療養していたが、
忠治の長期の療養に移され、忠治の本格的な取調べとなり、ここから関東取締役・中山誠一郎の厳しい吟味の上、江戸小伝馬町獄舎入牢となる。
此の取調べの経緯は次回のさんぽみちで話します。
花束山田 享子
真紅のばら
ブルーボールの青い玉
ピンク色した 乙女の様な百合
そして それを囲む 鳴子蘭の葉
まだ あります
朝・夕に動く 不思議なグラリオサの花
ほのかな紫にかすむ 夢の中の様な霞草
ピンクのリボンにかざられて 今
私の腕の中に 抱かれています。
こんなに大きな花束は
七十年間に初めてかも知れません。
まるで私の人生の花束で感無量の想いです。
それはそれは数奇なボエミアンの運命でした。
でも今ふり返ってみると誰も経験しない
バラ色の ブルーの オレンヂの
色とりどりの人生でした。
しかし 谷底があって 山があり
悲しみがあって 喜びがあり
こうして生きて来た 幸せが今あれば
きっと私は 神に愛されていた生涯だったと
感謝の想いが
この花束の様に
胸に一ぱいになるのです。
文芸作品
歳過ぎて とみに痩せたる 吾が身体
妻も懸命 手早いとほし
仰向けは 最も安らぐ 姿勢なり
ギブスの右足 やすめて眠る
老いなれし 動かぬ手足 消えぬれど
右肩かろく 温湿布貼る
おはようと 介護士さんより 出され茶を
笑み顕つ言葉 朝のひととき
看取る身の 修羅のいくつを くぐりぬけ
いま歌を詠む ゆとりをもてり
影山 えいじ
毎日の うだる暑さに 足のため
今年の夏は ありがたきかな
元気出し 日々を送ろう われのため
いづれ幸せ おとづれしかも
梁瀬 さと
夏空に ジェット機消える 子の旅路
暗闇に 曼荼羅描く 蛍かな
土田 修緑
エアコンと 仲良くしたい 暑さかな
朝顔の 水滴あの娘の 別れの涙かな
星野 勇
坂本さま、山田さま、、影山さま、梁瀬さま、土田さま、星野さま、ご投稿ありがとうございました。
これからもご投稿お願いします。
富士たちばなクリニック実業団硬式テニス部発足!
~初戦、
第二戦を連勝で飾る~
今年度から発足した富士たちばなクリニック硬式テニス部。
メンバーは元群馬県A級選手の名倉院長先生をはじめ、角田(琢)、根岸(伸)、市橋、滝沢の5人で構成されています。
チームは6月から開幕の群馬県実業団リーグに参戦し、記念すべきデビュー戦となった第一戦では群栄化学を2勝1敗で破り、
見事勝利を飾ることができました。そして勢いに乗った第二戦もNTTに3勝0敗で勝ち、チームは開幕2連勝。
優勝へ向け好調なスタートを切ることができました。
また、第一戦は高崎の群栄化学コートで、第二戦は群馬町のテニスコート(ナイター)で行われましたが、
応援に駆けつけて下さった職員の方々、本当にありがとうございました。皆さんの応援があったからこそ勝てたと思っています。第三戦は日程・
場所とも未定ですが、ルネサステクノロジーとの対戦となりますので、引き続き皆さんの温かい声援をよろしくお願い致します。
名倉院長の健康豆知識
若々しい脳
最近、孫にジィージィと呼ばれる事が多くなったせいか、脳の老化現象を意識する事が多くなりました。
最近実感している私の脳の老化現象を挙げてみましょう。まず第一に、年を経るに従って、時間が速く流れるように感じられます。
つい最近年賀状を書いたと思ったら、もう夏ですもの。二番目には自分の脳力、健康面などに自信がなくなり、
若い時ならば少々の物忘れなどは意に介さないものが、「これはぼけの始まりか?え~と父親の名前は覚えているか、うん大丈夫だ。」
などと確認したり、ちょっとした胸やけ症状などがあると「すわ、胃癌か?」などと大仰に考えたりしてしまうのです。三番目の現象としては、
朝礼などで話す場合、同じ話を何度もしている場合が多く(優しいうちのスタッフは一度も今日の話、
何度目の話ですよとはおくびにも出しませんが)、話す前は新しい事を話しているつもりでも、
後でふり返ってみると同じ話題について何回も話しているのです。また話している時も時々途中で「あれ、何を話していたのかな」などと思い、
少し考えないと話していた内容や筋道が分らなくなっていたり、話し終わった後、
この事はみんなに伝えなければと考えていた事を話せなかったりする事が多々あるのです。四番目には、映画などの暴力シーンや、
以前から嫌いなヘビの映像などに耐えられない程の苦痛を感じるのです。
私が感じているこれらの脳の老化現象は、近年の脳科学の進歩により、脳の特定の部分の老化による現象である事が明らかとなっています。
年をとると時間が速く過ぎるように感じられるのは、年をとると次第に忙しくなり、
あわただしい日々を送っているうちに年が終るのだとも考えていたのですが、そうではなく、脳科学の立場からみると、
少し下世話な言い方をするなら、年をとるとぼんやりしている事が多いからだという事です。いわば老人の脳細胞は休んでいる事が多いのです。
小さな子供が一瞬の退屈にも耐えられない姿は、脳細胞の働きが老人とは全く違う事を実感させてくれます。また老化による記憶力の減退は、
最近経験してきた事の記憶量の減少につながります。記憶していない事は経験していなかった事になるのです。作業記憶という記憶があります。
これはちょうど黒板に文章を書いて、説明が終ると消してゆき、新しい文章を書くときに使う記憶といわれています。
話している間に何をどこまで話したか忘れてしまうのは、さっき黒板に書いていた、消し去った文章を忘れてしまったせいなのです。
高齢の人の話を聞いていると、何を話していたか分らなくなる為、話題がどんどん元の主題から離れていくのはそのせいなのです。従って、
記憶する能力という観点からみた場合、時間が速く流れるという感覚と老人の長話は同じ脳の部分の老化と言えそうです。
若い頃力道山のプロレスを見て老人の方がショック死を起こしたとの記事を見て、不思議に思ったものです。
年をとると嫌なものを見たり聞いたりした場合、不愉快な感情が制御できないようです。若い時には不愉快な感情を別の気分へ転化、
転換ができるのですが、年をとると気分転換ができず、嫌な気分が続くのです。その為、年をとると自分の心に不愉快な事は、
見たり聞いたりしないという気持ちになるのです。この事は逆に自分にとって心地よい話は、その愉快な気分が長く続きます。
そうした気分を止めさせるような話はできるだけ聞きたくないので、自分の都合のいい話だけを聞こうとするのです。
高齢者が簡単に様々な高額の健康食品や、健康器具にだまされるのは、
自分の身体にいいという心地よい気分にさせる話を邪魔されたくないという心理が働くせいとも考えられます。
こうした様々な脳の老化の現象は誰にでも訪れる必然の現象です。こうした老化にどう立ち向かえばいいのでしょうか。
脳が若い事イコール記憶する能力が高い事といえそうです。脳が記憶する能力は身体で言えば筋肉と考えています。双方とも日々使用し、
鍛えなければ衰えるのです。「若々しい脳を維持する為には」という課題で今後も勉強していきたいと考えています。
8月の行事予定
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編集後記
さんぽみち8月号、お楽しみいただけましたでしょうか。
この一ヶ月の間、関東では東京近郊を震度五の地震が襲ったり、台風7号が大雨を降らせたり…と予測の難しい事象が相次いで起こりました。また、海外に目をやればロンドン、エジプトからはテロのニュースが飛び込んで来るなど、明るい話題の少ない月だったように感じます。
そんな世の中を変えるのは人々の明るい笑顔、前向きな言葉であると思います。暗い所を照らすのが明るい光であるように。利用者の皆様の優しくあたたかな笑顔を見るにつけ、創春館の職員でいられることはとても幸せなことだと感じます。
幸せを下さる皆様に、あまたの良い事が訪れ、いつも明るい笑顔でお過ごしいただけますことを心よりお祈り申し上げます。
《広報委員 根岸 伸》