平成23年2月号

2月号もくじ

・田野しも様 百賀のお祝い
・今月の事業所だより
・名倉院長の健康豆知識
・吾輩はジータである 東郷彦四郎
・文芸作品
・今月の行事予定
・投稿コラム
・編集後記

 

田野しも様☆百賀の御祝

新年早々の一月十一日に、通所リハビリに通われている田野しも様の“百賀を祝う会”を開催しました。田野様は、今年で三回目のお誕生会になります。紅白に彩られた“祝百賀”の横断幕の下、緊張の面持ちで雛壇に座る田野様に、まず最初に表彰状と記念品が贈呈されました。その後ご家族の方々には田野しも様のプロフィールを、ひ孫さんからは、心のこもったお手紙を頂きました。田野様が自らプロフィールを読まれる姿もあり、乗り越えて来られた多難な百年の歴史に会場は一瞬静まり返りました。くす玉がみごとに割れた後は、利用者様から心のこもったお祝いの言葉をたくさん頂くことができました。田野様とご自分の母親をだぶらせて涙ぐんでいる方もいらっしゃいました。職員からは、百歳音頭という元気いっぱいの踊りを披露させていただきました。田野様の退場は、紅白のお花でフラワーシャワーとなり、田野様の車椅子は祝福のお花でいっぱいになりました。家庭的で和やかな雰囲気の中、会場がひとつになって田野様の喜びをともにすることができました。田野様の前向きな姿勢はこれからも利用者様と私達の目標になると思います。益々お元気に過ごされますようお祈り致します。田野しも様、百歳万歳!!

 

今月の事業所便り

デイサービスわきあいあい たくさんお願いしてきました!

わきあいあいでは一月三日より初詣デーとして、水沢寺や白岩観音、珊瑚寺へ今年も良いことが沢山あるようにお参りをしてきました。まずは今年一年健康でいられるように、その他にも家内安全・商売繁盛・安全第一・良縁に恵まれますようなど、それぞれ心に思う願いはつきませんでした。

 

あかしあの里Ⅰ お寿司で新年会!

あかしあの里Ⅰでは一月二日に新年会を行いました。お好きな方は多いのですが、普段はなかなか食べられないお寿司をとり、新しい年を迎えるお祝いをしました。鮪や海老やイクラを目の前に皆さんニコニコ顔で、いつも召し上がっている食事量より多いにも係わらず誰一人残すことなくしっかりと召し上がられました。「こんなに食べられればまだまだ大丈夫だね!」なんて言う冗談も飛び出し、とても幸せな昼食と新年を迎える事が出来ました。

 

療養棟二階 美味しく出来ました!

一月十二日、療養棟二階にてうどん作りを行いました。午前中、お茶の時間を利用しスタッフと利用者様とで一緒にうどんの生地をこねて作り、冷蔵庫にねかせておき、午後のおやつの時間に皆で生地を伸ばし、切り、出来上がったうどんを厨房で茹でてもらい夕食の時に鍋焼きうどんにして召し上がって頂きました。利用者様が昔を思い出しながらとても楽しそうにうどん打ちをしており、慣れない職員も利用者様に教わりながら皆で楽しむことができました。夕食の鍋焼きうどんは大変好評で喜んで頂けたようでした。一日がかりで大変でしたが利用者様、職員共に楽しい時間を過ごすことができました。

 

星辰の家 外出してお誕生日会

星辰の家では、風のない暖かな日、九十二歳を迎えられた利用者様のお誕生祝いをしました。久し振りの外出ということで利用者様も大変喜ばれ車中、会話も弾みとても賑やかでした。「ひな野」での食事会では沢山のお料理に目を丸くされ好物の天ぷらを「おいしい、おいしい」と召し上がり最後に大きなお皿にのったバースデーケーキが出されると「ありがとう嬉しいよ」と満面の笑みで間食されました。
九十二歳も幸せな一年でありますように。

 

あかしあの里Ⅱ 初めてのドーナツ屋さん

新年早々に誕生日会を行い初詣では青柳大師へ行ってきました。また、先日、入居者様からミスタードーナツが食べたい!と言う声があり外出を兼ね買いにでかけました。「ドーナツ屋さんに行ったのは初めてだったのよ。送迎の運転手の方がとてもさくい方で次回は指名してと言われちゃった!」と話しはつきませんでした。買ってきた大きなドーナツを、ホームでおやつに召し上がり大満足そうでした。次回の外出先を入居者様と一緒に考えながら暖かくなる春が待ちどうしいあかしあの里Ⅱです。

 

あかしあの里Ⅲ 元旦に誕生会

一月一日誕生会をしました。今年八十一歳を迎える方で、大きな丸いケーキを前にされ満面の笑みを見る事ができました。他の入居者さんからいっせいにお祝いの言葉をいただき、力強くローソクを吹き消し拍手喝采の誕生会でした。

 

デイサービスゆめさき 初詣ドライブツアー!!

デイサービスゆめさきでは一月三日から六日まで初詣ドライブへと出かけました。その日によって寒さは異なりましたが、どの利用者様も厚着をされ、完全防備で当日は出かけました。三、四日は敷島の小石神社へと参拝に行き、五、六日は原之郷の富士原神社へと参拝に行き、その後、珊瑚寺を経由しドライブをしながら帰館しました。利用者様からは「毎年初詣を楽しみにしているんだ。今年も行けて良かった。」「ドライブも久しぶりで良かったよ。」などの声をたくさん頂き、新年良いスタートを迎えられたとの事でした。
これからもより一層寒さが厳しくなってくるかと思われますが、体調管理には十分気をつけて今年も職員一同頑張っていきたいと思います。

 

明 月 お餅+獅子舞=新年会。

さぁ、新年初めのイベント「新年会」を一月二十二日に開催いたしました。
DS・GH合同で開催し、利用者の方々・職員も無事に迎えられた事に喜びの声もありました。
まずは、「臼」と「木槌」が出てくると自然に餅つき大会になり、利用者の方が木槌を振りかざすたびに周りからは「ヨイショ!ヨイショ!」と歓声と驚きの声が飛び交い、その後は、皆様の大好物でもある「あんこ」・「きなこ」・「からみ」でお餅に味をつけて召し上がっていただき、「よく伸びるお餅。」と満面な笑みをこぼしていました。
そして、明月は初の試みとしまして「獅子舞」を披露し、皆様一人一人の頭をパクとし、疫病退治・悪魔払いとして行い、心がスッキリした気持ちで終わることが出来ました。

 

ケアセンター朱咲 新年会に書き初め

ケアセンター朱咲では一月二十三日に小規模・グループホーム合同で新年会を行ないました。
まず、利用者様全員で書き初めをおこないました。テーマは自由で思い思いの文字を書いて頂きました。皆様とても上手に書いてらっしゃいました。書き初めのあとには新年らしく全員ですごろくを行ない新年をお祝いしました。

 

GHしらさぎ 絶景の新年会!

しらさぎでは、静かなお正月を皆さん迎えられ、六日に初詣に出かけ、思い思いのお願い事をしてきました。二十八日には、新年会を兼ねて外食に出かけ、アツアツのハンバーグを、お腹いっぱい食べ、県庁に登り展望室からの景色を楽しんできました。今年も一年間、しらさぎの皆さんが、笑顔で楽しく過ごせるように、スタッフもがんばります。

 

クリニック通所リハビリ 今年最初の作品です。

クリニック通所リハビリでは、今年最初の共同作品として大きなウサギの絵馬を作成しました。今年はウサギ年ということで、お花紙を丸めたものをボンドで貼り、ウサギの絵馬を完成させました。赤城の大鳥居をイメージした赤い鳥居と、しめ縄も飾り付け、クリニック神社の完成です。利用者様からは「お賽銭箱を置いたほうがいいよ」という声が聞かれました。クリニックの扉を開けてすぐ見える所に飾ってありますので、お参りしたい方はお賽銭を持って見にいらして下さい。

 

療養棟三階 慣れた手つきでうどん打ち

療養棟三階では、十三日にうどん作りを行いました。まずは午前中に、利用者様と職員で、どんなうどんができるか楽しみにしながら、うどん粉をこねる作業から・・・。一生懸命に足でうどん粉をこねるなど、普段なかなか見られない利用者様の姿を見る事ができました。午後は伸ばして切る作業です。昔うどんを打ったことのある方は、慣れた手つきで真剣に取り組んでいました。そしていよいよお待ちかね!!夕食に皆さんで作ったうどんをおいしく召し上がっていただきました。うどん作りは一日を通して楽しむ事ができ、利用者様にいつも好評なので、また作りたいと思います。

 

涼風の家 手作り料理で新年会

一月二十三日に涼風の家で新年会が行われました。涼風ならではの手作り料理やもちつきを行いました。手作り料理は大好評で、今回写真を撮り忘れてしまい掲載できないのが残念です。職員による余興では、「麦畑」と「安木節」を行い、職員・家族の方々・地域の方々に盛り上げて頂き、無事新年会を了えることが出来ました。利用者様も「おいしかったね。」や「楽しかったからまたやろう。」など大変うれしい声が聞かれました。行事を行うにあたり、利用者様のご家族・地域の方々に参加して頂き、毎回大変良い行事になっております。今後もいろいろ行事を企画していきますので是非ご参加ください。

 

GHゆめさき 色とりどりの繭玉作り

GHゆめさきでは一月十三日に繭玉作りを行いました。今年は赤、白、黄色、薄緑色、四色の繭玉を作り、入居者様と一緒に楽しみながら桑の枝に飾り付けをしました。とても色鮮やかな出来栄えに「綺麗にできたね~」「誰か来たら見せてあげたいねぇ!」との喜びの声が聞かれ、皆様とても充実感があった様子でした。完成した繭玉をフロアに飾ると華やかになり入居者様の笑顔のたえない一日となりました。

 

通所リハビリ 新年会に沖縄エイサー

一月三日、新しい年の初めての利用日に創春館デイケアとクリニックデイケア合同の新年会が開催されました。
恒例のお餅つきを『職員余興』と『新春かるた大会』に変更しての新年会です。沖縄伝統芸能でもある『エイサー』の太鼓の音に合わせて獅子舞が登場すると、利用者様からは歓声が上がり、お一人一人の所に獅子が訪れると、「懐かしいわぁ~」「凄いね~」「よく作ったなぁ~」など感嘆の声が聞かれました。職員余興では、『染之助・染太郎』に扮した職員が、傘の上でボールやミカンを廻したり、壺を・・・そうになったりして、一瞬ヒヤッとする場面もありましたが、皆様とても喜んで下さいました。かるた大会は、四グループに分かれた『上毛かるた』の対戦です。床に広げた大判かるたを、お手玉を投げて取るようにしました。「こっちの方が早かった!!」「これじゃなかった~」など、皆様の表情はいつもの何倍も真剣そのものでした。利用者様の素敵な笑顔をたくさん拝見することができ、良い一年のスタートとなりました。

 

院長先生の健康豆知識

「冷え」の問題について

「冷え」の話題がブームのようです。「心も体も『冷え』が万病のもと」と言う人がいれば、「体温をあげればあらゆる病気、癌さえも防いだり治したりできる。」と言う人もいる始末です。医者が書いているそうした類のベストセラーの本でも、医学的には根拠が薄弱で論旨も支離滅裂なため、治療の参考にはならないのですが、それでもこうした類の本が次から次へ出版されると言う事は、「冷え」という問題に明確な解答を打ち出せない現代医療の弱点を着いていると言えそうです。若い人の「冷え」の問題は圧倒的に女性が多いらしく、私自身を省みても冬の季節の指の関節のこわばりや痛み、冷感を感じるようになったのは、五十歳を過ぎてのことです。女性の中には、下手をすると十代から「冷え」を感じる人がいて、ひどい方はしもやけのような症状になる方もいるようですが、病名のつかないこうした方は、受診しても体質の問題として片付けられてしまい、有効な対策がないと言うのが実情のようです。そこで「冷え」の原因をいくらか根源的に考え治療の一助として頂きたいと思います。

人間がサルと分かれ進化した時、その最も大きい体の変化と言えば、二足歩行と脳の発達、そして体毛の喪失という事が挙げられます。二足歩行と脳の問題はさておき、体毛を失ったことで得たものと失った物と言うのを考えて見ますと、得たものの最大の物は汗がダラダラ流れることによる体の冷却装置の発達であり、失ったものは寒さを防ぐコートの喪失です。暑さ対策としてコートを脱いだとも言えるかも知れません。発汗による強力な冷却作用に対して、私達の裸は寒さに対しては殆ど無防備といった状態です。

人間の熱の生産は主に内臓(取り分け肝臓)、筋肉で行われ、通常体温は36.5℃前後で維持されるよう熱の産生が調節されています。内臓で生じる熱量は一定になっているため、外気の寒さに対し熱を作るには、体を動かすしかないのです。もし体温の低下に対し、内臓の基礎代謝量が増加するのであれば、太っている人は冬場、始終冷気にあたり続ければ脂肪燃焼により痩せられるはずですが、そんな事は期待できません。しかし飢餓に陥った時、カロリー源として脂肪が使われますので、太った体は飢えには強いという事は言えそうです。寒さ対策として、人間は日向ぼっこをしたりして、住む場所を変えたり、火を焚いたり、たくさん衣類を着たりして体温の低下を防ぐしかないのです。そうした対策にもかかわらず。脳や心臓、内臓などの、生きて行く為に必要不可欠な中枢の体温維持が困難になってきた時は、脳の間脳にある体温中枢は四肢へ流れる血流を止め血液が外気にさらされるのを防ぐ事になります。いわば、体の中枢を守るため、手足を犠牲にするしかないのです。凍傷はそうした姿ですし、手足の冷たい人というのは、大多数の場合、体温中枢の指令により四肢の末端の血流が少なくなった人なのです。

「冷え」の現象は体温中枢が狂ったために起きているに違いないのですが、この体温中枢の問題は自律神経や女性ホルモンを含めた各種ホルモンの問題、血管の動脈硬化等の問題など複雑多岐にわたっているため、問題を解きほぐすには、一つ一つ抱えている問題を解決して行くしかありません。「冷え」に対する最も基本的な対策としては、運動による発汗作用により、体温中枢の変調を治すこと、筋力の強化、十分な寒さ対策などが考えられます。有効な漢方薬もあるやに聞きますが、大切な事はじっくり話を聞いてもらえる信頼できる医者を選び、じっくり腰をすえて問題点を整理し、治療する事だと考えています。
今回より新連載の始まりです。

 

吾輩はジータである ―そしてまた貴方に恋してる―

東郷 彦四郎

第一章 鈴の音

吾輩はジータである。「吾輩」といっても夏目漱石の猫ではない。ただのジジイである。ジジイではむさ苦しく、ジータは巷間出回っているので、少ししゃれた感じで、ニューヨークヤンキースのジータをもじってジータと名乗る事にした。ジータを見た事もない孫たちもいるじゃろうが、みんなのジージであり、ジータだ。もっと正式に言えば、みんなの祖父という事だ。歳はみんなの祖父という事だから、百歳は優に超えているかも知れんが、数えた事はないし、そんな必要もなかろう。君達が想像するジータだ。

ジータは今でも若く、頭もしっかりしておる。何故ジータの登場だって?ジータの登場を待っていたのは君たちじゃなかったのかね。膝や腰の痛みに気も沈み、一人寂しく床に入り、眠れぬ夜を過ごす時は、ジータの優しい声を待っていたんじゃなかったのかね。

ジータはそんな孫達の姿を見て、いじらしく、たまらなくいとおしく思い、ラブレターを書きたくてうずうずしてきたんじゃ。こんな気持ちでラブレターを書くのは二十歳の時以来だ。二十歳は恋する年頃だ。ジータはその頃、たびたび恋をした。ジョンレノンの一枚のレコードがきっかけとなった恋では、あふれる思いに、「ハッピークリスマス」をBGMに原稿用紙二十枚程の恋の物語をプレゼントした。だからジータがラブレターとして恋の物語を書くのは、その時以来の事となる。

その時の恋の行方?君達と一緒に遊んだ出来そこないのシャボン玉のように、あっけなくパチリと終わったよ。後に彼女のボーイフレンドとなった同じクラブの友人から「『ジータさんの物語とても素敵でした』と彼女が言ってましたよ」とニヤニヤ言われたんじゃが、直接彼女から感想を聞けなかったので素的な物語だったかどうか分からん。まあそんな事はどうでもいいんじゃ。それにしても私の孫達も歳をとったもんだ。あんなにプクプクと滑らかで思わず頬ずりして「ジータやめてよ」と逃げられていた顔には、シワやシミが増え、耳にキンキンうるさい程鳴り響いていた高い声もすっかり出なくなり、子犬のように足元にまとわりつき動き回っていた足も、今では転ばぬよう用心して歩いている有り様じゃ。そんな孫達に少しでも生命の息吹を吹き込もうとジータはラブレターを書く決心をしたんじゃ。元気のでるのはリポビタンDでもオロナミンCでもなく、スッポンの生き血、サメの軟骨、はてまた皇潤やグルコサミンではない。金をかければ元気がでるというのは現代日本のさもしい考え方じゃ。元気の素は何といっても恋の物語じゃ。そこで、ジータが長い間眺めてきた恋の物語を話す事にした。

前置きはこの位にして、早速恋の物語を始めるとしよう。

物語の最初の場面は、「創春館」から始まる。館といっても旅館じゃなく、お化け屋敷でもない。介護老人保健施設といって、障害を抱えたお年寄り達がリハビリに励む施設じゃ。場所は赤城山の南西の麓、すぐ側を大堰川という幅二十m程の川が赤城山から流れ下り、冬には、柵で仕切られた遊歩道から、寒々とした川面を数羽の鴨が餌をついばむ姿が眺められる、そんなのどかな雰囲気の所じゃ。もっとも冬の群馬は、赤城おろしという、嵐のような風が連日吹きすさび、のどかな気分を味わえる日は少ないがね。物語の主人公リンさんが登場するのはそんな冬の季節の頃だ、七十五歳は過ぎていた筈じゃが、丸顔で二重瞼の、ばあさんでありながら可愛いと形容できる女性じゃ。

今では片カナ二文字の女性は滅多に見ないが、大正から昭和の初め頃には流行ったらしく、ジータの知っている範囲でもテツ、カネ、キン、ギンなど金属の名前から、クマ、トラなど動物、はてまたマツ、タケ、ウメなど植物の名前まで、リンさんが生まれた頃は何でもごじゃれの時代じゃった、それはさておき、リンさんが車椅子を押して貰いながら創春館の玄関についた時も、赤城おろしの風に吹き飛ばされそうになる位じゃった。独りで生活しているリンさんの何かと世話をしているのが、車椅子を押しているケアマネージャーのS藤じゃ、気立ては優しいのじゃが、三十代も前半なのに、メタボリックが歩いているような体型には腹が立って、北朝鮮にでも送り込みたくなる。段差のない玄関を一歩入ると暖かく明るい空気が流れ、素敵な生け花が気持ちを和ませるように咲いている。そしてすぐに、リンさんは沢山のダイコンを見る事になる。I鼻村とT上村そしてS村のダイコンはたくましく、豊満で、H内村とH林村のダイコンはすらりと細長く、K保、M崎、O田、K瀬村のはみずみずしく、ジータには全てのダイコンが、今が食べ頃といった感じじゃ、つまり、リンさんが最初に目にしたのは、お風呂介助にいそしむ、女性達の短パン姿という事だ。女性が他人に太股を見せるなど考えられなかった時代に育ったリンさんには、衝撃的な光景じゃったろう、次に書道やちぎり絵など色々な作品が飾られた廊下を通り過ぎ、次にリンさんが目にした光景は、沢山の老人達が、体操したり、運動器具を使ってリハビリする姿じゃった。

にぎやかな言葉が行き交う雰囲気にリンさんはとまどってしまった。ふとリンさんの脳裏をよこぎったのは、若い頃経験したある喧騒じゃったが、これについては後で話す機会もあろう。リハビリ室の一角にS藤氏とテーブルに着いたリンさんを待っていたのは、婦長のM田氏だ。おばあさんになれば、ロッキングチェアに揺られながらずり下がった丸い眼鏡で編み物をしているのが思い浮かぶような五十代の女性だ。「婦長のM田です」のあいさつにもリンさんは小さくうなずくのみじゃった。

もっともこのM田婦長の話しぶりは、まるで平安時代の貴族の娘のようにか細いもんじゃで、良く聞き取れなかったかも知れんがね。ケアマネージャーS藤氏「リンさん、創春館でしっかりリハビリすれば、足腰もしっかりしてきますよ。」「そんな事他人に言う前に、あなたの身体にまとわりついた無駄なぜい肉なんとかしなさいよ」とリンさんが思ったかどうかわしゃ知らんがのぉ。

M田婦長「慣れるまで大変でしょうが、私達がお手伝いしますので一緒に頑張りましょう。」そんなやり取りが続いていたが、リンさんはこんな活気のある世界に入っていけるかどうか不安じゃった。そんな時、リンさんから十m程離れたところをあちこちで「こんにちは」と交わす声も軽やかに通り過ぎる五十歳になるかならないかという医者があらわれたんじゃ。

「先生!」と周囲には悲鳴としか聞こえない、婦長のありたけの声で呼びかけられた医者は、一瞬何事が起きたのか、医者に悲鳴は禁物だろうと腹を立てながら、リンさんのテーブルに近づいたんじゃ。その時、白衣から鈴の音が、リン、リンと鳴り響き、物語が展開するとしたら、できすぎたフィクションの物語と思うじゃろうが、実際のところそんな作り話の様な出来事から物語は始まるのじゃ。

背を屈め、リンさんの目をのぞき込むように見ながら「こんにちは」と挨拶し、たったそれだけを言って去っていく医者の後ろ姿を追いながら、ぽつりと「あの方は誰ですか」とリンさんがたずねた。

リンさんからS藤君のもとへ創春館にリハビリに通うから手配してくれと連絡が入ったのは、翌日の朝の事じゃった。院長の鈴の音にリンさんの昔の記憶が甦り、創春館から物語が展開するのじゃが、リンさんの鈴の音にまつわる話は次回の事としよう。長くつらい夜をじっと耐え忍ぶいとしの孫達よ、少しは夜の無聊をなぐさめる一助となったかい。続きを楽しみにゆっくりお休み、ジータはいつも君達を見守っているよ。

 

文 芸 作 品

治療処の 心づくしの 花一輪

今朝の花 心の和む 色香有り

梅の花 一輪毎に 春を呼び

髙橋 三佐男様

松の月 そっと咲くのは 梅の花

門松と 重ねる年は 同じかな

車いす 操るはずが 操られ (詠み人知らず、車の運転より楽だと思ったが)

軽自動車は 車いすより 簡単だ (詠み人知らず、同上)

萩原 敬彦様

朝やけや 明るさ増して 日が昇る

星野 武司様

土の中 ざぜん草が 出てきたよ

節分や 歳をとるにて 豆をまく

うぐいすや 木の枝にてか かわいいね

小竹 喜代子様

名札つけ 大うで振って 魚つり

我が友よ 小袖振り振り 舞台に立つ

鈴木 總平様


 

今 月 の 行 事 予 定

☆星辰の家☆
3日 節分
14日 おやつ作り(バナナチョコ)
24日 誕生日会

 

☆あかしあの里Ⅰ☆
3日 節分
14日 バレンタインデー
下旬 外食ツアー予定

 

☆DSゆめさき☆
3日 節分・ブッチーライブ
14日~16日 おやつ作り
17日~19日 映画上映会
21日~23日 誕生日会

 

☆涼風の家☆
3日 節分
11日 誕生日会

 

☆療養棟二階☆
3日 節分
16日 おやつ作り(すいとん)
23日 誕生日会

 

☆GHしらさぎ☆
3日 節分
中旬 合同誕生日会
下旬 ドライブ

 

☆通所リハビリ☆
3日 節分会
5日 南橘ハーモニカクラブ 演奏会
14日 ちぎり絵教室
16・18・21日 誕生日会
17日 光友会

 

☆あかしあの里Ⅱ☆
3日 豆まき 節分お面を事前に準備
7日、28日 誕生日会
14日 バレンタインデー
15日 おやつ作り(ドーナツ)

 

☆GHゆめさき☆
3日 節分豆まき
6日 家族会(新年会)
20日、27日 誕生日会

 

☆あかしあの里Ⅲ☆
3日 節分
14日 手作りおやつ(チョコ蒸しパン)
日程未定 ドライヴ

 

☆朱咲の家☆
17日 バレンタインデー
11日、19日 誕生日会

 

☆わきあいあい☆
3日 節分 ブッチーライブ
4日、5日、8日、25日 誕生日会
11日 誕生日会&寿司パーティー
14日 バレンタイン(チョコ作り)

 

☆療養棟三階☆
3日 節分祭
10日 恵方巻きづくり
17日 おやつ作り(すいとん)
24日 誕生日会

 

☆GH明月☆
3日 DS・GH合同節分祭
14日 DS・GH合同 バレンタインディ
お生日会
ドライブ

 

☆DS明月☆
3日 DS・GH合同節分祭
14日 DS・GH合同 バレンタインディ
鍋会
ドライブ

 

投稿コラム

ロマンかきたてる忠治の生き方

坂本 正之助

忠治が大前田英五郎の口添えで百々村の紋二の跡目を継いでから子分の浅太郎、日光の円蔵、清水頑銭とそうそうたる子分と国定一家の名をあげたのである。
忠治が現在の世まで云い伝えられたのは、講談や浪曲で語られ芝居や映画で喝采を浴び続けた激動の人生には、それなりの彩るエピソードがあったからである。
どこまでが実像なのか、上州が生んだ稀代のアウトロー伝説である。まず一つをあげれば弱きを助け、強きを挫く出来すぎた話だが、これに類した挿話は数多くある。忠治は博打荒らしのような、博打うちの仲間の足元をすくう命がけのしの強盗は、平然とやってのけるが素人の難儀を救うために報酬を求めることはなく、きわめて金離れがよかったので子分達には、肉親のように慕われた。
忠治は前述の気質であるから女性にも好かれた、忠治が国定村の妾の家に泊まる時は子分が二、三人で寝ずの番をしていたという。忠治が天保飢饉に貢献した時事は、天保四年(一八三三年)長雨冷涼の天候不順から飢饉が始まった。
その前世紀も前に猛威をふるった天明飢饉と同様に関東も例外ではなかった。上州では不作が続き、天保七年の秋作が未曾有の凶作であったため食料を差し与えた。当時は葛、蕨、野老(ところ、山芋)などを掘り、あるいは木の実を拾って飢えをしのぐありさまだったと云う。食料の不況と飢饉に不安を募らせ貧農の中には不穏な動きが出始めた。近世日本の三大飢饉の一つ、天保飢饉の襲来であったと言う。
飢饉に苦しむ窮民に手を差し伸べるのは本来為政者の仕事であり、次に生業そのほかの生活圏を共にする裕福な持てる者、豪農商である。
それなのに、こともあろうにお尋ね者の博徒である賊魁忠治が賑救により四十九ヶ村の村民の飢饉を救った話談が現在の世迄伝えられている。
忠治による村民への救済の実態はどんなものだったであろうか、忠治は私財を投げ出して米銭に換えて与えたと云う天保七年「一八三八年」の飢饉の功績をお話ししてみました。
この忠治の大田町四十九ヶ村の飢饉対策のお話は、後にお話しします。

 

編 集 後 記

新しい年を迎え、こうしてゆく年くる年を幾度も繰り返し、もう直ぐ還暦という自分の齢と、これまでの人生を振り返って、良き事も悪しき事も全てわが人生の思い出として感じられるようになりました。
さんぽみちを毎月ご覧になる利用者の皆様に良い思い出となる一ページを一つでも多くお伝えできれば、幸いです。また、富士たちばなクリニック、創春館は今年も更に飛躍してゆく事でしょう。それは、皆様方とスタッフの絆の深さに有ると思います。

これからも、良き内容の新聞創りに励みたいと思います。

広報委員長 萩原 義男