平成24年10月号
さんぽみち10月号もくじ
・ケアセンター明月 おかげさまで6周年!
・今月の事業所便り
・吾輩はジータである。
・院長先生の健康豆知識
・行事予定
・文芸作品
・編集後記
伊香保ケアセンター明月 おかげさまで6周年!!
さて、毎年行われる、明月感謝祭、地域の小学生、父兄、利用者ご家族のみなさん等、参加人数も、毎年増え、伊香保の恒例行事になりつつあります。
今年は気象にも恵まれ、汗と涙の嵐の中、昨年に引き続きフードファイトをチャレンジしました。昨年の覇者としては、三十代最後の勇姿を利用者様、職員へ見せ付けるチャンスでありましたが、毎日の不摂生がたたり、噴き出してしまいました。そんな私を、利用者様が逆に「大丈夫、無理しないで」と気を使っていただき、恐縮です。
グループホーム管理者 平林 徹
伊香保ケアセンター明月はおかげさまで六周年を迎えることができました。利用者様を始め、ご家族や地域の方々、またスタッフやスタッフの家族など、皆様に支えられここまで来ることができました。その思いを精一杯の感謝の気持ちとして八月二十五日に『明月感謝祭』を行いました。
当日、最高の天候のなか、屋外では男性スタッフを中心とした焼きそばやジュースの屋台、屋内では歌や踊りのイベントを初め、調理係による愛情こもった手料理の数々等、スタッフの不器用ながら精一杯のおもてなしを感じていただけたかと思います。
まだスタート地点に立ったばかりの明月は、これから利用者様やご家族また地域の方の信頼をいただき益々成長していければと思います。
出会い、縁、それはまさに宝。これからも明月宝箱を愛してくださいますようスタッフ一同今後ともどうぞよろしくお願い致します。
デイサービス明月管理者 津久井 巧
今月の事業所便り
しらさぎ
敬老の日に紅白まんじゅう
グループホームしらさぎでは、九月九日に敬老の日にちなんだお祝い膳と、利用者様と一緒に紅白まんじゅうを手作りしました。おまんじゅうを作っている際、利用者様は昔作った経験からか手早くコロコロと上手に丸めていらっしゃいました。おやつの時にみんなで作ったおまんじゅうを召し上がり、「とてもおいしかった。」との声がたくさん聞かれました。そのあと敬老の日のお祝いのプレゼントの枕カバーを渡すと、「良い夢が見られるかね?」と話されていました。しらさぎでは九十歳を過ぎた利用者様が七名いらっしゃるので、百歳をめざしこれからも健康で過ごせるように援助できたらと思います。これからも楽しいイベントが出来たらと思います。
GHゆめさき
盛り上がった、敬老会(お楽しみ会)
グループホームゆめさきでは、九月十七日に敬老会を行いました。今年は、『お楽しみ会』という事で、ゲームを沢山取り入れました。「一攫千金ゲーム」では、箱の中に隠してある大金を次々に引き当て、皆さん大金持ちになった気分で大変喜ばれていました。また、「これな~にゲーム」では、手で触り何か?を当てるという事で、ハラハラ・ドキドキスリル満点で盛り上がり楽しまれました。最後にプレゼントをお渡しすると、「ありがとう!嬉しいわ~。」と大変喜んで頂きお祝いの食事を召し上がり、終了となりました。利用者様の中には、数日前より心待ちにされていた方もいらっしゃいました。私達職員は、利用者様の笑顔が見れて本当に良かったと思います。これからも、楽しいイベントを沢山考えていきたいと思います。
通所リハビリ
市立前橋吹奏楽部の演奏会
秋分の日、九月二十二日、「こんにちは!」というさわやかな挨拶が館内に響き、総勢四十名の高校生が静かな通リハフロアーに登場です。この日、あるスタッフの提案により市立前橋吹奏楽部員による初の演奏会が開催されました。高校生らしい若さ溢れるダイナミックな演奏に、会場の皆さんもスタッフも感動の拍手。各楽器を紹介するコーナーでは音楽監督のユーモアたっぷりのトークに会場は更に沸きあがりました。レパートリーもクラシックから演歌までと幅広く、女子部員の澄んだ歌声を交えての演奏の場面では、感激の涙を流しながら聴き入る利用者様もいらっしゃいました。演奏終了後、整理体操「東京のバスガール」に参加していただきました。見たことも聴いた事もない体操に、戸惑いながらも笑顔いっぱいに体を動かしている姿は実に楽しそうで、終ると同時に監督や高校生から歓声があがりました。孫のような部員の皆さんとの暖かい交流に利用者様の拍手はいつまでも続いていました。「また来てね」「また会おうね」と約束を交わし別れを惜しんだことでした。
涼風の家
おまんじゅう作りをしました
八月十八日 涼風の家では入居者様のご家族の方が、おまんじゅう作りに来て下さいました。生地の中にカボチャを練り込み、その中に手作りのあんこを入れる工程を教えて頂いたのですが、なかなか均等にあんこが包めず苦戦している職員の横で、入居者の方は「昔はさんざ作ったけどもう何年も作って無いから無理だよ~」と言いながらも、手のひらで軽く丸めるだけできれいな形をしたおまんじゅうがどんどん出来上がりました。それを蒸気の上がった鍋に入れ、待つこと数分 何と鮮やかな黄色いおまんじゅうが出来上がりました。ちょうど三時のおやつにアツアツのおまんじゅうを、フウフウしながら美味しく頂く事が出来ました。作るのも楽しかったですが、やはり皆さんは食べている時のお顔が一番嬉しそうでしたね。
あかしあの里Ⅲ
季節を感じる手作りおやつ
九月七日に、手作りおやつでおはぎを作りました。今月はお彼岸があるため、おはぎにしました。皆さん口々に「もうお彼岸かい。」「早いなぁ。」と言われ、「昔は自分の家で作ったから、そりゃ大変だった。」や「親戚が集まって楽しかった。」と思い出話に花が咲きました。来月も季節感のある手作りおやつを、提供して楽しんでいただきたいと思います。
DSゆめさき
レッドカーペットで誕生日会
今回の記事を載せるのに少し検討し誕生日会の事を取り上げようと思いました。最近ゆめさきでは誕生日会当日に個々にお家にお迎えに行き、到着されたら赤じゅうたんを敷いてあるのでその上を歩いて頂き、お花を渡し拍手にてお迎えをしております。今月の誕生日者は男性四名、女性二名の方々で、男性のお一人は九十五歳になられ日々リハビリ、おしゃべり等元気に過ごされています。七十二歳になられたお一人の男性は気管切開をされた方で、利用当初はゆめさきに通うのをためらっておられる様子でしたが、奥様に伺ったところ最近ではゆめさきに来るのを楽しみにされていると伺っております。その方は普段、病気の事もあり皆様の前で話をされるのをためらう姿が見られていましたが、お誕生日会主役ということで自分から挨拶をしたいとお話があり皆様の前で「ゆめさきでの初めての誕生日会を開いて下さって・・・」と元気に話されていました。ゆめさきでの表情を見ていても楽しみながら良い表情をされて私たちに元気を頂いています。今後も利用者の皆様に喜んで楽しんで頂けるようにしていきたいと思います。
あかしあの里Ⅱ
みんな仲良く納涼祭
あかしあの里Ⅱでは、九月二十三日に納涼祭を実施しました。納涼祭では、みんなで盆踊りをおどったりカラオケで盛り上がったしました。お昼ご飯は、屋台のように焼きそばやフランクフルトを作ってバイキング形式で楽しんで頂き午後は、輪投げ大会、お菓子釣りを実施しました。皆さん真剣な顔をして輪投げを楽しんでいました。その後、一人一人にクジをひいて頂き、当たった景品をプレゼントしました。大きいイベントで入居者の方々もたくさん笑顔がみられ楽しんで頂けたようでした。今後も、心から楽しいと思って頂けるようにイベントを考えて行きたいと思います。
春らんらん
お月見団子を作りました
九月二十五日、敬老のお祝いを兼ねて、お月見団子作りを行いました。「昔は石臼で挽いた粉で作ったりしたんだよ」など会話もはずむなか、みたらしとあんこの二種類のお団子を作り上げました。出来上がったお団子のうち、みたらしの餡は特に好評で、皆様「美味しい」と言って召し上がっていらっしゃいました。また、敬老の感謝の気持ちとして作成した手作りカードをお渡しすると、皆様笑顔で受け取ってくださり、その時の表情がとても印象的でした。そんな素敵な笑顔が見られるようなイベントをこれからも作って行きたいと思っています。
あかしあの里Ⅰ
お寿司&県庁ツアー
グループホームあかしあの里Ⅰでは九月十三日にお寿司&県庁ツアーを行いました。昼食は回転寿司にて入居者の皆様大好物のお寿司を召し上がり、皆様から「美味しいね」という声が聞かれました。入居者様の中にはデザート代わりにシメとしてうどんを注文された方もおられ、私達スタッフも驚かされました。お腹が満たされた後は、県庁へ向かいドライブ。当日は快晴の天気に恵まれ、三十二階の展望階まで上がり市内を一望。あまりの景色の凄さに皆様「わ~!」と感激されていました。これから秋の行楽シーズンを迎えるので秋を満喫できる楽しいイベントを企画していきたいと思います。
星辰の家
手作りおやつで敬老会
星辰の家では、九月十八日に敬老会を盛大に行いました。敬老会では、利用者様・職員と一緒にとおやつ作り行いました。色々と考えてどら焼きを作りました。職員と一緒にどら焼きの生地を作りそれに好きなフルーツや餡を挟み美味しく頂きました。利用者様からは「美味しいね」「また作りたいね」と好評でした。
また職員から利用者様へ手作りの敬老カードと花束を贈りました。利用者様からは大変感謝されて行って良かったと思いました。最後に皆様の長寿と健康を祈り敬老会を締めくくりました。これからも利用者様が楽しんで頂けるイベントを開催していきたいと思います。
療養棟二階
色々な寿がならんでます
療養棟二階では、十九日に敬老会を行いました。一般棟では十名以上の方々が寿を迎えられます。傘寿、米寿、卒寿、白寿、百三賀とそれぞれを迎えられましたが、皆さんとてもお元気です。寿を迎えられた皆様に敬意を表し、表彰状を送呈させていただきました。他の皆さんにも表彰状を送り、院長先生も皆さんに向けて歌をプレゼントしてくださいました。
* 二階利用の小川参二様は前橋市の男性の最高齢であるそうです。一月に百四歳を迎えられます。
ケアセンター朱咲
大盛況の朱咲祭り
ケアセンター朱咲では、九月九日に納涼祭を行ないました。模擬店を開き、楽しい食事の時間を過ごした後は、外にて余興のアコーディオン演奏がありました。昔懐かしい曲ばかりで、皆様自然と口ずさまれていました。最後にお神輿の練り歩き、盆踊りを行ない会場は祭りの雰囲気と笑顔に包まれていました。多くの利用者様、家族の方、地域の方にご来場いただき、盛大な朱咲祭りを迎えられた事に感謝致します。
療養棟三階
何にしようか、お買物
九月十三日に専門棟(三階)と一般棟(二階)の利用者様、ボランティアの方々と一緒にベイシア富士見モールへ買い物に行きました。店内の商品を色々見ながら楽しんでいる利用者様の姿が見られました。皆様、それぞれ好きなお菓子や飲み物をお買い上げになり、利用者様の好みを知ることも出来たので、職員も楽しませていただきました。買い物したり、車に乗ったり、外の空気を吸ったりして気分転換していただけたと思います。
わきあいあい
はにわの里へコスモス見学!
デイサービスわきあいあいでは、九月二十七日に旧群馬町の「はにわの里」へコスモス見学へ出掛けました。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り過ごしやすい陽気でした。赤、白、ピンクのコスモスが見事に咲き誇り、皆様「綺麗だね、花をみるのは心が洗われるね」と喜ばれていました。この日は、利用者様のお誕生日でありましたので、東屋にてお茶で乾杯しドーナツを食べお祝いしました。綺麗なコスモス畑を見ながらのドーナツは格別でした。これからも思い出に残るお誕生日会を計画していきたいと思います。
クリニック通所リハビリ
夏の思い出の一枚
クリニック通所リハの初めての試み“グリーンカーテン”。立派なグリーンカーテンとなり、今年の夏の強い日差しからクリニックの利用者様をしっかりと守ってくれました。そのグリーンカーテンも最近では緑が日に日に少なくなり涼しさと共に少し物寂しさが感じられるようになりました。写真の絵は、真夏の頃のグリーンカーテンの一部をクリニックの利用者様が色鉛筆だけで書き上げてくれた素敵な作品です。例年にない猛暑だった夏・楽しかった今年の夏の思い出を振り返らせてくれる一枚です。そんな絵の数々に囲まれながら、クリニックでは毎日元気にリハビリ励んでいます。
吾輩はジータである そしてまた貴方に恋している
東郷 彦四郎
第二十一章 『甲子園への道(第一章)』
硫黄島慰霊祭から帰ってきたリンさんは、自分が別の人になったかのように、自分の中で何かが変化した事を感じていた。思っている事は言わなくちゃ、自分でできる事はやらなくちゃ、という思いに駆られた。他の人達もリンさんの変化に気付いた。以前は遠慮がちだった話しぶりも、相手の目をしっかり見て話すようになっていた。野球部部室前での、お礼のあいさつからして変っていた。
「無事、硫黄島での慰霊、終えることができました。皆様方にいただいたサインボールは、私の夫となる筈だった人が、そこで、亡くなったと思われる洞窟の前へ供えてきました。多分あの方の骨は洞窟の中で今でも残っている筈だそうです。あんなに野球の好きだった方ですから、皆さんが思いを込めてサインしたボールは何よりの供養になったと思います…。洞窟の入口はすっかり崩れ落ち、岩や石ころで塞がれ、入る事はできませんでした…。中から硫黄の匂いの混じった熱気がふっと臭ってきました。中の様子を想像すると、とても普通の状態では、生活する事など考えられない場所でした…。」リンさん、石川に連れられて、トシさんと一緒に行った洞窟の状況を思い出す。
「日本の将来の為に、日本本土の為に、あんなにつらい所で戦っていただいたあの方の霊を、いくらかでも慰める事ができたのではと本当に嬉しく思います。本当にありがとうございました。」リンさん、まずは監督、そして部員一同に向かって深々とお辞儀をする。部員達もつられるように一斉にお辞儀をする。もうあいさつは終ったと思った部員達に、リンさんは、大きな声でしっかりと更に続けた。「今年は絶対甲子園に行って下さい。今迄先輩達が何度も悔しい思いをした無念を晴らして下さい。死ぬ気で頑張って、監督さんを喜ばしてあげて下さい。硫黄島へ行って、男が命をかけて戦うという事が、どういう事か分かった気がします。あなた方は死ぬ事はありません。でも命をかけて下さい。おばさんは皆さんの命をかける姿が見たいんです。」
今迄、想像すらできなかったリンさんの迫力ある訴えに、部員達全員の硬直する身体が感じられた。硬直を解くように、もう二十年近くも甲子園を目指し、打ち砕かれてきた四十代も半ばに入ったS藤監督の言葉が続いた。
「おいみんな、俺もそうだが、もう言い訳しないで頑張ろう。リンさんに男の姿を見せようじゃないか。」
それがN大二高野球部の変化の第一歩だった。寮で生活する部員達にとって、リンさんの変化は途惑う程のものであった。毎日リンさんが作る昼の弁当には、必ず、一人ずつに「カツ」が一切れ入れられ、ご飯には「カツオ節」がまぶされるようになった。夕食の時には、さり気なく、自分達のプレーが批評されるのである。
「伊藤くん(伊藤N明、一番バッター、ショート、足利出身、俊足、素早い動きは女性にも活かす)。どうして二アウト三塁でベンチを見るの?あそこはサインなんかない場面でしょう。集中して打席に入らなくちゃ。」
「日野くん(日野N俊、二番バッター、セカンド、吾妻出身、バントが得意、実家のメロンパンは美味しいとの評判)。あの試合の時、ボールが転がってきて、ふとエラーしたらどうしようと思ったでしょう。顔に書いてあったわよ。そんな事をちょっとでも考えるから暴投するのよ。そういうのをひるむというのよ。勝負はひるんだら負け。いつもファインプレーをやってやると思ってなくちゃ。」
「北嶋くん(北嶋N光、四番バッター、センター、富士見村出身、がっしりしたスラッガーである)。前の打者がフォアボールで二アウト満塁の場面があったでしょ。おばさんは、北嶋くんがフォアボールで最初のストライクを思い切り振ってくれると思っていたの。そしたら、ストライクのボールを見逃したでしょう。どうして打たなかったの?自分もフォアボールを願ったの?おばさんそんな考え方嫌い。毎日打つ練習や素振りをしているのは、試合で打つ為に練習しているのでしょう。いい球がきたら打てばいいんじゃない?結果はダメでもいいと思うの。フォアボールを願う気持だけはやめてね。」
リンさんの批評に、最初は、どうせおばさんの言う事だ、と、軽く聞き流していた部員達も、おばさんの言っている意味が分かるようになり、自分達が一つ一つのプレーについて、よく考えていない事に気付き始めた。
寮の部員達の思いが、部員全員に伝染し、全員が自分達で考えて野球するチームとなった。S藤監督も部員達の変化に気付き、監督自身も変り、試合途中で煙草を吸う事もなくなった。練習はやらされる猛練習から、挑戦する猛練習となった。例年行なう春の合宿は、今迄経験した事のないような、過酷でありながら、実り多い一週間となった。選手は自主的に二千本の素振りを提案し、一日で皮のむけた手に、布を巻きつけバットを振った。五百本ノックでは、グラウンドを右に左に這いずりまわり、まわりでは、目に涙をうかべた部員達が、声をからして声援した。
「おりゃーもう一丁こい!」
「飛びこめ!」
「止めろ!」という絶叫が果てしなく続いた。やりきった選手は地面に突っ伏し、グラウンドの土の匂いを嗅ぎながら、涙を胃袋に飲みこんだ。合宿を締めくくる三十キロ走では、全員、高崎観音山をぐるりと三周し、グラウンドを十周した。体重のせいか、一人遅れながらも真っ赤な顔をしながら、今にも倒れそうな、ヨレヨレになった佐藤宗和(キャッチャー補欠、優しい性格でみんなに愛されていた。)がゴールのホームベースに着く時には、みんなの顔は、涙でぐしゃぐしゃになり、佐藤に抱きつき、「やったぞ!終ったぞ!」と口々に絶叫した。そんな様子を、少し離れて見ていたS藤監督の目にも涙があふれ、これ程の猛練習を耐えぬいた選手達に、今迄とは違うエネルギー、そして勝つ手ごたえを感じとった。毎年、合宿最後の日だけは、部員達の感激を、みんなに見えない所で、見守ってきたリンさんにとっても、燃え上がる青春の躍動が感じられ、感動で胸が熱くなる一日となった。
そんな猛練習後の春の大会、二高野球部は順調に決勝まで勝ち進んだが、決勝では、今迄散々煮え湯を飲まされている、名門M橋工業に三対〇で敗れた。依然、M橋工業は二高の前に大きな壁となって、立ちはだかったのである。M工に勝たなければ甲子園へは行けなかった。
「打倒M橋工業」を掲げた猛練習が続いた。リンさんの起床時間も一時間早くなった。朝五時には起きだし、近くの神社に必勝を祈願し、グラウンドの四隅に、さり気なく誰にも気付かれないように、盛り塩をした。寮で生活する、十人近くの部員の朝食と弁当を準備し、掃除、洗濯を終えると、午後の練習をちらっと見て、夜七時には夕食の支度を終え、部員達の帰りを待つ、それがリンさんの日課であった。部員達はたいてい夜八時頃帰ってきたが、みんな玄関に着くと、へなへなと上り口に腰かけ、靴を脱ぐのももどかし気に、ヨロヨロ、トボトボという感じで、廊下を歩いた。そんな姿の背に、リンさんは言葉をおくった。
「お帰りなさい。よく頑張ったわね。でも、本当に強いチームは、そんな事が当たり前で、へこたれないの。しっかり食べて、寝る前にバットを素振りする位じゃなきゃ、甲子園は無理よ。」
「もういい加減にしてくれよ」という空気が、背に感じられる部員ではあるが、それでも妙に力が湧いてくる、リンさんの明るい声であった。そんな風にして、夏の大会が目前に迫ってきたのである。
院長先生の健康豆知識
『何回目かのコレステロール論』
二十九歳で入学した、群大医学部在学中は、貧乏な生活でした。三人の子供がいて、女房は育児に専念という訳ですから、収入は実家からのわずかばかりの送金、家庭教師等のアルバイト、奨学金という状況でした。外食なんて滅多にできるものではなく、たまに安いうどん屋さん(横綱うどんには世話になりました。)が、せいぜいで、当時マーキュリーホテルの近くにあった「宮ステーキ」等は、今でも我が家で話題になる程の豪華なご馳走でした。そんな生活だったものですから、高価な医学書も、おいそれと買えたものでなく、必要最低限の物でまかない、足りないものは図書館を利用していました。卒業試験では、一生懸命図書館で勉強し、合格点を確信していた病理学で、追試験の発表があり、教授室に呼ばれました。教授の前に座ると、私の答案用紙を見せながら、「君の書いた腎臓病の分類は十年前のものだよ。」と言われた時には、必死になって覚えたものが、そんなものだったのか、と、ガクッと全身の力が抜け、あらためて貧乏というものを実感しました。また当時、国家試験対策用の参考書等はなく、医者になって、図書館担当の教授と知り合った時、「私のような貧乏学生のために役立つような、実用的な書物を入れてあげて下さい。」とお願いした事があります。数年後大学図書館を訪れた時、国家試験対策用の参考書がたくさん並んでいて、とても嬉しく思いました。そんな貧乏な時代が長かったものですから、医者になって、研修医仲間と病棟で、ワイワイ、カルテ書きをしている時、ひょいと製薬会社の人が顔を出し、薬の名前の入ったボールペンや文房具をくれた時は、嬉しかった!。今まで買わなければいけなかった必需品が、タダで手に入るわけですから、皆大騒ぎで喜んでいました。昔は、そんな風にして、医者と製薬会社のお付き合いが始まり、以後切っても切れない関係となるわけです。
しかし、そうした関係があっても、私の知るかぎり、必要でない薬を使ったり。本当はこちらの薬が良いのに、別のを使ったりという医者はみた事がありません。でも、同じ効能効果であれば、文房具をいただいた方の薬を投与するかもしれません。十分心しなければいけない問題です。現在でも、日本医師会雑誌をはじめ、医者がかかわる雑誌には、たくさんの製薬会社の広告があり、医療講演のほとんどは、製薬会社の後援で行なわれています。また、乏しい予算の大学の研究であれば、製薬会社が資金提供する事もあるでしょう。そういう研究成果は、製薬会社の不利にはなりにくいものではないでしょうか。選挙活動と同じで、見返りを求めない資金というのは、なかなか得られないというのが、実情ではないでしょうか。医者は、製薬会社とははっきりとした一線を画するべきだと思います。そんな一種ひねくれた見方をするものですから、コレステロールを下げる薬が開発され、基準値以上の方は、下げる薬を、と言われても製薬会社のペースでは、と懐疑的に見てきました。ある種の薬には、良い面と悪い面の両面がある、というのは大原則です。コレステロールについては、以前は総コレステロール値二百二十mg/dlを基準値として、それ以上を高コレステロール血漿として治療が推奨されてきましたが、いつの間にか、高脂血症が脂質異常症と変更され、総コレステロール値ではなく、LDLコレステロール値が、動脈硬化危険因子として、表示されるようになりました。
しかし、LDLコレステロールを直接測定する方法は、問題点が多いと言われています。以前よりもっと簡単に、総コレステロールからHDLコレステロール(善玉コレステロール)を引いた値を、動脈硬化危険因子とするのが、単純で精度の高い指標であるという意見もあります。日本では、LDLコレステロール(悪玉コレステロール)については百四十mg/dlを基準としていますが、これを越えたからといってすぐに下げる薬を飲むのではなく、あくまで動脈硬化症の一つの危険因子として考えて下さいと言う事です。以前と比べて、コレステロールを下げる薬の使用については当初から私が考えていたように、慎重になってきた気がします。動脈硬化で問題になるのは、何が血管の表面を構成する内皮細胞を傷つけるかという事です。イメージとしては、肥っていて、日頃汗をかく事もなく、血圧や血糖が高い人が、内皮細胞を傷つけています。そんな方は、心筋梗塞の危険性が高く、LDLコレステロールを厳格に下げておく必要があります。今までの研究成果から、その事は確かなようです。
勿論、減量や運動により、生活習慣を変える事が第一に必要です。どんな薬でもそうですが、コレステロールの治療については、十分医者と話しあって、何故薬が必要か、のめばどんな利益と不利益があり、今後の自分の人生にどう影響するかまで、聞いておく必要があるでしょう。
今月の行事予定
☆あかしあの里Ⅱ☆
23日 お誕生日会
24日 榛名湖ブラックスワンの旅
29日 お誕生日会
☆GHしらさぎ☆
1日 お誕生日会
19日 運動会
下旬 おやつ作り
☆療養棟二階☆
10日 おやつ作り
11日 買い物ツアー
14日 感謝祭
24日 運動会
31日 お誕生日会
☆明月☆
11日 榛名湖外食ツアー
19日頃 合同運動会
未定 焼き芋、ハロウィン
秋のドライブ
お誕生日会
☆朱咲の家☆
6、7日 前橋祭り
10日 運動会
11日 避難訓練
21日 おやつ作りとお誕生日会
22~27日 コスモスドライブ
☆春らんらん☆
11日 運動会
14日 富士たちばなクリニック 感謝祭に参加
☆通所リハビリ☆
2日 水野先生のハーモニカ教室
9、10日 運動会
11日 「晃峰会」発表会
15~18日 お誕生日会
19日 ちぎり絵教室
☆療養棟三階☆
11日 AM 買い物ツアー
PM うどん作り
18日 運動会
25日 お誕生日会
☆星辰の家☆
10日 運動会
未定 お誕生日会
☆GHゆめさき☆
18日 掃除の日
25日 紅葉ドライブ
☆あかしあの里Ⅲ☆
12日 手作りおやつ
14日 感謝祭
24日 外食
日程未定 運動会
☆わきあいあい☆
9日 お誕生日会
お寿司バイキング
19日 お誕生日会・外食
25日 パンバイキング
26~27日 紅葉ドライブ
☆DSゆめさき☆
10日 お誕生日会
11日 軽スポーツクラブ慰問
15、16日 映画上映会
17日 久保さんカラオケショー
19、20日 おやつ作り
24日 お誕生日会
25~27日 運動会
29~31日 外食ツアー
&コスモスドライブ
☆あかしあの里Ⅰ☆
14日 感謝祭
27日 お誕生日会
中旬 外出予定
☆涼風の家☆
10日 お誕生日会
13日 水沼獅子舞
日時未定 お月見会
文芸作品
サービスは 受け手と提供者の協同で
行なうからこそ より成果があがる
すみわたる 秋の夜長に 一筆啓上
妻に心をこめた 感謝状
藤林 秀夫様
空青し とんぼの影を 指で追い
老いして想う 幼き頃を
原田 カヅヱ様
メマイする 我に似ている オスプレイ
悪いこと ばかりでないと 生きている
隠ぺいし 己を守る 教育者
今井 ミチエ様
オニの目の 涙はきっと 甘いかも
世渡りは うまくないけど 自分流
腹出して 昼寝する猫 又たのし
引きこもる 心に友の 処方箋
菅野 邦夫様
編集後記
さんぽみち十月号はいかがだったでしょうか?秋を迎えてもまだまだ暑い日は続きますね。秋と言えば食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、などありますが皆様は秋と言えば何を思い浮かべますか?私はスポーツの秋です。趣味のフットサル、そして今年は県民マラソンにチャレンジしようと思っています。趣味に仕事に元気に突っ走っていきます。皆様も適度に運動して元気にお過ごし下さい。それでは来月のさんぽみちも宜しくお願い致します。
ケアセンター朱咲 松下 哲也